世間は直交で盛り上がってますが、クロックワークにしか手を出してない。
ゼンデギ読まずにハイパー糖蜜とか言ってたけど、あれは立ち読みで目についた単語を入れただけ。
実際読んだら感動した。微妙なネタバレを食らった後読んだので逆に嫌な予感や全編にわたる喪失感が感じられてむしろよかった。
文系でもわかる長編は貴重。
あとコメントで指摘されるまで気づかなかったけどむしろ山岸真氏の真似をしていることになる?それまでは意識したこともなかったけど。(一年近く前の話)
氏の翻訳は、原文がわかるような、つまり構文情報がほとんど失われていない訳文。可逆的な。カルノーサイクル?わからん。意味は完璧に対応することはないけど構文的には、可逆的な逐語訳は可能?
ゼンデギの話だったけど、英語は結論を先に言うから、後から皮肉で一文の中でオチるのがイーガンのユーモアっぷりでよくある手法だけど、日本語は「絶望的に動かないことを抜かせば、成功だ」みたいに、オチを先に言った冗談みたいになって、逆に皮肉度がましている気がする。
「素敵だね、実はクソなんだけど」というのは普通すぎて、「実はクソであることを抜かせば、素敵だね」のほうが性格悪くていい。結果、聞き手の脳内では「否定→肯定→否定」と、印象を揺さぶられることになる。
とはいいつつ、原文を読んだことないし本を一冊訳したこともないから、自分でやってみないとわからないことだと思う。