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カクヨムWeb小説短編賞に参加します。

カクヨムコンには短編賞に応募します。

10月中に3本かければいいなと思っていて……そのうち2本は、だいぶできてきました。

『ともだちはたからもの』
という、児童文学を意識した、現代ファンタジー。
これはいいものになってると思います。(当社比)
企画段階ではホラーでしたので、プロットのほかに「時代背景」「キャラクター表」をA4判の紙に細かく書いていって、一日かけてラストを構想しました。
短編においてラストを先に決定させるということは、予定調和で面白みがなくなってしまうリスクをはらんでいますが、今回は書いていて最後までどきどきする作品になりました。

もう一つは、下書きがプロットになったような、アドリブ力でつなげていって、しまいまで書いて、初めて全容がわかるという作り方をしました。
すごくいいものになったと思っています。(当社比)

ラストは、もともと3万文字見込みのプロットを、1万文字の作品にしてみようという、試みです。でないと、カクヨムコンに出せませんから。でも、これはとっても素晴らしい作品にするから、3万文字バージョンもいずれ書きましょう。

でも、語彙とシーンをガンガンけずることになるから、つたないものになってしまうかもしれないので、かわりにコメディーをお送りするかもしれません。
下書きはできているのですが、なぜか気持ちが浮き上がれない。
でも、できるだけのことはやっていこうと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。
幾久しく、ご縁があるかぎり。

2件のコメント

  • あ、そうだ。
    カクヨムコンの応募作品は、広告非表示にします。
    ちょっとでも、いい環境で読んでいただきたいので。
  • 水木レナさん

    キャラクターは作者にとって、成長する過程に必要な仲間だと考えています。執筆は人を書く作業ですから、自分の内面を吐露するだけではなく他者を理解しなければ成り立たない。作者そのものではない人格が宿ったキャラクターは、先生でもあり友人でもありライバルにもなる存在です。物語で生きる人物という意味合いだけでなく、現実世界を映す鏡という意味も備えている気がします。

    完全になりきって書く場合、いらない表現に固執するもとになっている可能性は少なからずあると思います。私自身、「タイム・ラグ」の初稿に存在したくだりを後にカットしましたし。なりきっていると、どうしても楽しくなって色々と書いてしまうんですよね。だからこそ、冷静になって読み直したときに「このくだりは物語に重大な効果を与えているか」と疑問に思えばすぐに書き換える勇気も必要だと思います。
    書きたいことを全部書いてから削る箇所を吟味する。このスタイルに変えてから、いらない表現に固執しすぎることが減った気がします。

    これからもお互い、いい物語を作っていきましょう。
    余談ですが、私が「灯台の導き」ならば水木さんは「足場の悪いところでもひたむきに花を咲かせる蓮」だと思いますよ。
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