私理由あってスポーツ好きだけどあの五輪は「意志を持って」全く見なかったので、実は有名なトルコ射撃の無課金おじさんを全く知らない。
そもそもスマホゲーム、課金制ゲームを私は全くしないので、「無課金」の意味もよく分かってない。あれですよね? ニュアンスで捉えてるけど要するにゲームが発売された後も、少しずつお金を払うことで強化出来たり「○○回までは無料だけど、それ以上は少しお金がかかる」みたいな感じで、ゲーム進めていくうちにもお金をかけることを「課金」、掛けないことを「無課金」というんですよね
(カクヨムなども一種の課金域はありますが、ちょっと小説の場合はゲームの課金制とは意味合い違うのでこの際脇に置いておく)
このおじさんがなんで「無課金」なのか全く分からんかったんですが、
真相分かりませんがどうやら「無装備」らしいですね。
確かにそういえばTシャツ一枚みたいな姿で撃つ姿を見たことあります。
なんか無課金おじさんのインタビューがあったんですよ
それで「何故装備をしないのですか?」という質問にこの方が答えていたのです。
このトルコ射撃無課金おじさんが特別な装備をしない理由
・アスリートはユニフォームや装備などお金のかかるものではなく人間の身体や能力で勝負するべき
・今のスポーツ界はもはや能力を超えて装備で戦っている
・それは「五輪」の精神に反する行為だ(スポーツマンシップのこととみられる)
・人間の能力だけで戦うことに意味がある
こういう信条があるからこの方は無装備で戦っているそうですね。
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すっげえ分かる!!!!!!!!!😊
これちょっと小説界のAI論にも通ずる部分がありますね!!
わかる!!
私もアスリートは身を守るプロテクターは重要だと思いますが、「能力底上げ」装備は反対なのです実は。自転車や車なんかも高速化高速化を狙って機材開発されていますが、勿論それを仕事にしてる人もいるので、無くていいとはいませんが、それは別に、一般の人とかが使えばいいと思います。
アスリートは本来自分自身の肉体の能力で勝負すべきです。
その精神が失われると、自分自身の肉体や能力を鍛えることに、疎かになるからなのですよ。
小説に使うAIも同じで、
「AIに聞けばいいや。AIに補助してもらえばいいや」この精神が蔓延すると、
そもそもの自分で情報を集め、自分で知識を身に着け、自分で文章力を鍛える努力を怠る方向へ人間が進みだすんですよ。
個人的にはそういう部分を怠ってどんどんどんどんAI依存する連中の実力と思考能力が劣化してどんどん小説書くのが下手になろうが全然私は勝手にそうなれお前らなんか って思う方なんですが、
いつか小説書くことを仕事にしたいと真剣に思うようになってからは、小説界、は自分の仕事のフィールドだ、と考えられるようになりました。
小説界としては、そういうことは悪しきことなのですよ(※しかし、まあ誰とは言わないがそういうAIだけじゃなくAI補助で書けるようなテンプレ系を推奨してるような出版企業側も存在するという矛盾はすでに起きていることは承知している。そういうのも変えて行かなければと思う部分はあるので)
界隈全体が劣化していくのです。
この無課金おじさんを、「スポーツ界の変わり者」にしてはいけないのです。
スポーツはそもそも、子供からでも体が一つそこにあれば、出来るというのが夢があります。
小説でも最低限シャーペンと紙は書くために必要ですが、スポーツはある意味体一つあれば走るなりなんなり、その瞬間から始められます。
スポーツに金のかかる装備が絶対不可欠、という考え方になってしまうと、
「スポーツが続けたくても出来ない」という若い才能が絶対出て来る。
勿論それを防ぐためにスポーツの世界には奨学制度やら、スポーツアカデミーやらはあるものの、機材や装備の高騰化は私も考え方としては嫌なのです。
どこかでそれには有限を設けるべきだと思っていますし。
自分が、所属する様々な「コロニー」において、どういった位置に属しているか。
考えたことがあるでしょうか?
人は誰しも、何かに属しています。
家族、仕事だけではなく、
もっと細分化された分類があります。
その中で「実力のある人」は、コロニーにとっての先頭に立って、誰しもに見られて行く運命にある人達です。
少なくともそういう人たちは、優れているからこそ、属する世界に対してのある種の責任を負っていると私は感じるのです。
無課金おじさんは自分の揺るがぬ信念を持ち、
「スポーツはかくあるべき」
という美学を自ら体現しているのでしょう。
装備に頼らず、自分自身の肉体や能力を、至純なレベルで磨き続ける。
トルコの射撃無課金おじさんこと
【ユスフ・ディケチ】選手は
無装備の美学を掲げていると同時に、
「自分はそう出来る、稀な存在」という自負も持っているようです。
聞くと色々芯が通ったセリフを残している方ですが、
特に私がカッコいいなと思ったのが
代表選手として、
「トルコは私に良い装備を贈ってくれて感謝しているが、私は生まれながらの狙撃手だ(なので特別な装備はない方が良い)」
というセリフ。
この方のもう一つの特徴が、撃つ時に両目を開いたまま撃つスタイル。
普通射撃競技は焦点や集中を高めるために、片目を閉じ、視野を狭くして挑みますが、この方は両目を開いたまま撃つ。
そういうことが出来る人間も、
そういう訓練を受ける人間もいるそうです。
訓練を受ける人間というのは軍人や警察官で、彼らは撃ってる間も周囲への意識を怠らないために、撃つ時に目を閉じない、というスタイルが推奨されるのだとか。
ユスフさんは若い時に色々教えも受け、色んなスタイルを試したけれど、ある時自分は両目を開いたまま集中して撃てることに気づき、装備なども下手にすると集中力を邪魔するということに気付いたため、
要するに
「俺このTシャツでポケットに手を突っ込んで両目で見ながらやる方が一番集中出来るわ」
という結論に至ったのです。
実は、才能ある人ってそうなのですよ。
ある時自分自身のスタイルに気づくのです。
それは才能ある人は、他人と著しく違うことも多い。
しかし全く彼らは気にしないでいいのです。
彼らは最初からそうだったわけではなく、一応色んな事は学んだし、やってみたが、結果「これが一番俺に向いてる」という自信と共にスタイルを選び取ってるので、間違いはありません。
どんなに周囲の人間とそのスタイルが違っても、
その人にとっては一番自然で、合っていて、力を発揮出来る。
私も何でこんなに自分が一日も欠かさず、他を必要とせず、意識もせず100万字とか書けるのかは分かりませんが、これが私のスタイルなんですよね。
色んな小説書く以外のことやって来ましたが、全部合わなかったです。飽きたり面白くなかったり熱中できなかった。
唯一一日も飽きたことが無いのが「創作する」ことだけ。
書くことが楽しすぎて、誰かが読んでくれるか読んでくれないかなどは二の次になりました。
誰にも応援されなくても全然続けられるもの。
例え隣にそれなりに創作が上手い人や文量書く人が現われても、
唯一気にならない「ほんなら私はもっと書いてやるわ」と闘争心に満ちることが出来るもの。
「私は生まれながらの狙撃手なのだ」
響きますね~~~~~~~っ!
わかる!!
なんか、分かるよ言ってること。
私も心底考え方が作家なんだなと思うことあるもん。
自分のスタイルとかはもう一切探してません!!! 過ぎました!! そんな時期はとっくの昔に! あとはもう自分の思い描いた風景や情景、人間の言動を、思い通りに文章化出来るよう、自分自身の感性や感覚をひたすら磨いていくだけなのです。
AI使ったら情報収集や文章校正助かるよ
そんなもんうるせえ!!!!!!!! なのです。
「俺に装備は要らない」
全くその通り。わかる。
ほとんどの人が使っていたりしても「俺は不必要」という人がこの世にはいるのです。
稀ですが、いるのです。
そういう確信がある人は揺るぎなく自分のスタイルを大切にして下さい。
それは間違いなく、他人とは違う、天に与えられた貴方だけの武器なのだと思います。
ユスフさんはそういう人なんだな、とあの五輪はあるポリシーから全く見ませんでしたが、初めてこの人がどういうアスリートでどういう人なのか、捉えられた感じです。
姿がカッコいいのかと思ったら生き様や考え方がカッコよかったのですな😊