せっかく書いた小説。もっと読んでもらいたい!という欲求はあるわけで、
しかしながら、悲しいかな、万にある星の1つ。
よほどのことがなければ皆様のお目に留まることはないわけです。
登校時間、もとい、投稿時間を工夫したり、タイトルを工夫したり、投稿数を増やしてみたり…。
それなりの効果は得られても、10分~15分、下手すれば5分もすればトップページ「新着作品」の一覧から消え、
1時間もすれば「新着作品をもっと見る」からも消えていく…。
それでもお一人でも読んでくだされば滂沱の涙を流すところ、
そのうちPVも0になり…。
なんで~。なんで~。何が悪いの~。
と、嘆いても、読んでさえ貰えないのですから誰も教えてくれませぬ。
その一方で、1話だけなのに幾つも★を貰っている小説もある…。
何が違うの~~~。やっぱり文章が下手なの~。内容がダメなの~。
なんてなりますと、凹んでまいりますが、そんなとき!!
「Web小説 読んでもらえない」
などという悲しいキーワードで検索したわたくし。
「誰も読んでくれない小説を書き続けることに、どんな意味があるのか?」
というタイトルのはてなブログ様を発見!
URLはコチラ
(
http://saavedra.hatenablog.com/entry/2017/03/11/150910 )
いわく、
(引用ここから)
「架空の存在であれ、この世に誕生したキャラクターはその時点で命を持つ。
少なくともそう感じられる時、というのがある。
自作への愛着が深くて、キャラクターたちの物語を中断させたままではいけない、と思うのなら、やはりその作品は完結させたほうがいいのではないかと思う。
よく『キャラクターは勝手に動き出すもの』と言われるが、これは本当である。
生み出したキャラクターは、作者にとってもすでに他者だ。
そのキャラ達が、きちんと自分達の物語に幕を引いてくれ、とこちらに主張してくる。
出番を与えてくれと訴えかけてくる。
彼等の願いに答えるためには、この手で物語を完結させるしかない。」
(引用ここまで)
これはまさに目からうろこ!
わたくしも少し前に「キャラクターが走り出す」で書きましたが、
そのキャラ、思ってたのと違う!とか、
どうしてそっち(プロットと違う方向)に行くの!とか、
きっと小説書きあるあるだと思うわけで、
ああ、そうか、生み出した以上、責任があるわけだ、とも考えられるわけです。
これは納得。ごもっともであります。
でもって極めつけは「最後の読者は自分自身」
ぉぅ。
作者自身が物語の結末を見たいかどうか。
はい。見たいです。
よ~し。自分のために書いたるわい~(いつまで続くかな?)