• に登録
  • 現代ドラマ

ああ化石になっちまうよ

なんか気持ちがうまくまとまらんわ

昨日の夜くらいからそんな感じや。なんていうか、ぐでーっとしてたい気持ちと、何かしらアクティブなことして動いてたいっていう気持ちが、胸の中でせめぎあっているみたいな。ざわざわして落ち着かん。せっかくの休日が台無しや

この感覚、けっこう言語化難しいな。まあニュアンスは伝わったやろ

やりたいことは山ほどあるねん。本も読みたいし、小説も書きたいし、たまってるアニメを見なあかんし。だけど今一つやる気が起きないんよな。寝っ転がった体勢から腰を浮かすとこまではいくんやけど、その先立ち上がるってなると、どうも気乗りせん

疲れがたまっているのかもしれへんわ。こういう時は早めに寝るに限るな

ああ、あと最近の考えたことを一つ。数学の勉強法についてなんやけど

「問題文を読んで、じっくり自分で解法を考える」勉強法って、意味あんのかな

それができるのは、相当高度な数学的思考力を持った人だけやないかな

自分みたいに頭の回転が遅い人間は、せっまいワーキングメモリを使ってあれこれ考えるよりも、流れ作業的にその問題の解法を覚えて、活用できるようにしたほうがええんちゃうかな

こういうこと書くと「数学は自分の頭で考えるからこそ、数学的思考力がはぐくまれるんや」みたいな反論がくるかもしれへんな

だけどちょっと待ってくれ

冷静に考えてみれば、その反論には穴があるような気がするねん

まず第一に、「数学的思考力」っていう単語の意味の曖昧さやね

「数学的思考力」って、結局具体的になんのことやねん

解法を思いつく力?問題文に散らばった、回答へのヒントを見破る力?論理的に問題を解き進める力?

そういう力って、本当に問題を熟考することで育つんか?

数学が苦手な奴がいくら頭をひねったところで、出てくる回答なんて凡や

「下手の考え休むに似たり」

昔の人はよく言ったもんやな

「数学的思考力」っていう単語は、逃げじゃないやろか

って最近思い始めた

つまり「問題は解けるようにならなかったけど、いろんな解法のアプローチを考えて、思考力を高めたからOK」みたいな感じで

解法を覚えること、すなわち数学の問題を解けるようになることから逃避して、自分に都合のいい言い訳を作ってる

「テストの点は上がらなかったけど、でもたくさん数学の問題は考えたし、思考力は育ってるだろう」みたいに

いや、テストで点が取れてないんやから、数学の力なんてついてるわけないやろ

――これはもろに、自分が中三の時のマインドや。やっためたらに問題解きまくって、解いたそばから解法忘れてって、最後には何も残らんかった

ああ、数強になりてえええええ

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する