いつもご覧くださりありがとうございます。
昨夜、「なろう」様のほうに8話くらい投稿して「カクヨムにて同人誌嗜好でやっていきます」と宣言しました。
本当はもう向こうには8月くらいまでは書かずに、やるとすればコンテスト用にリメイクして掲載しなおす予定でした。
でも書かれちゃったのですよね。
「もっと他の作品を読んでリメイクしなおしたら?」と。
この異常性に気づかないのがWeb小説を読んでいる人なんだなぁと再認識。そういう人に限って匿名であるのです。
当人が軽い気持ちかどうか知らないけれど、そのやった行為はリアルで言うなら「本屋で立ち読みしてつまらないと思ったから侮辱の?落書きをして立ち去る」というものでしょうかね。
(50万字超えている作品をリメイク!それを簡単に1行でやれと書く?)
実際、最高の作品を書いている気はしません。もう本当に恥ずかしい作品です。
でも「これが私の書きたい作品」であり「楽しんで読んでくれる読者がいる」ことに気づいていないか配慮しない。だって「タダなんだし」「かんけーねーし」。Web小説を暇に時間にざっと読んでいる人は「自分の面白いと思った作品を見つけ」読んで詰まんなかったら「俺の時間を返せ」という気になるんでしょうね。
つまりお金ではなく「自分の時間を払っている」。
自分が読み專であった頃は、そこまでひどくはなかったけれど結構簡単に思っていました。やはり「もっと勉強すれば?」と。
でも自分で書いて思いました。
「そんな時間はない!」
作家側は自分の時間とアイデアと努力を一つの作品として、様々な思いを込めて書いている。
それに対して「俺の時間を返せ」となっちゃうこの現状はやっぱり変ですね。だからこそパーテーションが必要と思いました。
区別。
同好の志。
これを集める。
「俺の時間を返せ」に対しては無視できるようにする。
「読みたい奴は読めよ。だが文句は言うな。同好の志だけにここから先は読んでもらうから」
ある程度の所でこういった線引きをしないといけないのかなぁと。
だって【その作品に求める物が違う】のですから。
波長が違う。
それなのに「万人向けのを書けよ」という意識で無料で読んでいる人のなんと多い事か。
これがコンテスト対策とランキング評価PV優先傾向によってつくられているのでは?
1週間前くらいから考えていることがあります。
自分には到底健康的に無理だろうなぁと諦めていました。
でも、やりたくなったのです。
(でも無理かなぁ)
同じ波長の人を集めるため努力する同志の為の自主企画。
パワーワードの使い方。
この作品を読んでもらいたい読者の属性を認識したコピーの作成。
説明文の書き方。
まだまだ色々とあると思います。
やはり類は友を呼ぶですね。
波長の同じ人でつるんで勉強する、もしくは読者する。
もちろんジャンルを横断しての勉強会です。
こんなのやりたい人っています?
もっと考えて練っていこうと思いますが、「作品書けよ!」
と怒られそうww
でも3時間も創作活動していると頭がオーバーヒートしてそれ以上書けなくなるんです。
なので読者だけでなく、そんなこともやってもいいんじゃないかなと思った次第です。
ではでは ノシ