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賢者アリストテレス「元祖創作論」

つくられるもの=制作=ポイエーシス。

ロゴスをそなえた、制作にかかわる魂の状態。

そもそも「理論」をそなえた。
制作にかかわる魂の状態でないような技術など何ひとつ存在せず。
逆に、技術でないような「理論」をそなえた。
制作にかかわる魂の状態というのもありえないのだから。
「技術(テクネー)」とは、「真なる理論(ロゴス・アレーテース)」をそなえた。
制作にかかわる魂の状態と同じものである、ということになる・・・。

技術の行使というのは、存在することも存在しないことも可能な事物。
そしてその原理がつくる人の側にあって。
つくられる作品の側にはないような事物。
そうした事物がどのようにすれば生じるのかを。
「理論的に考察する(テオーレイン)」を基礎とする。

技術には徳がある(技術の行使には、そのための徳が必要。)

才能(デイノテース)について。

「才能」というのは、設定された目標に寄与する事柄を行い。
その目標を達成するような能力のことである。
そこでもし目標が美しければ「才能」は賞讃されるが。
しかし目標が低劣であるなら。
その「才能」は単なる「狡猾(パヌールギアー)」にすぎない。
それゆえに、われわれは思慮ある人たちでさえも。
「才能」があるとか「狡猾」であると言うのである。

「直訳」
芸術は必然的である。
または必然的に生まれる事柄にも。
自然に従ってそうなる。
必然的な(物)に起源があるからです。
創造性(作品の発想)が起源を持っている。
作品には自身に起源を持っているが。
そうなると技術の話ではない。
作ることと演技(技術)が異なるため。
芸術は演技(技術)の問題ではなく。
作ることの問題でなければなりません。

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