「お前も口内炎にさせたるぞっ!」
ババアはそう言って目の前から消えた。一体俺が何をしたって言うんだ……。
その日、俺は何となく街をブラブラとしていた。何もかもが嫌になって全てを放棄したのだ。目的もなく歩く街はいつもと違って見えて、自分だけがまるで異世界の住人になったような気がしていた。
そんな時、あのババアに出会ったのだ。不思議な事にババアは他の人には見えていないらしく、みんなババアを無視して通り過ぎていく。俺も最初はババアが幻じゃないかと思ったものだ。何しろ通行人達がババアをすり抜けて歩いていたのだから。
ババアはじいっとどこかを見ているようだった。俺はヤバイと感じ、見て見ぬふりをして通り過ぎようとした。
「お前、見えとるんかい」
折角知らないふりをしていたと言うのに、ババアの方から呼びかけられ、俺は心臓が爆発しそうなほど緊張する。こう言う場合の選択肢は概ねふたつ、反応するか、無視するかだ。俺は当然後者を選んだ。
「お前、無視するんかい! いい度胸だよっ!」
この後のセリフが冒頭に繋がる訳だ。そう、無視されたババアが俺に呪い的なやつをかけたのだ。ここまでされて流石にちょっと怖くなった俺は恐る恐る振り向いた。
すると、こう言う話のお約束どおりにババアはもうそこにはいなかった。あのババアは一体……。
俺はすぐにこの出来事を脳内メモリから消去して日常生活に戻る。ババアはいなかった。口内炎にさせるババアなんて最初からいなかった。いなかった……。
その日は何事もなく過ぎて俺は安心して就寝する。明日はちゃんと普通の生活をしよう。今日はただ疲れていただけなんだ。明日はきっと出来るはず……。呪文のように何度も繰り返しながら。
次の日の朝は昨日と同じように晴天で始まった。窓から射す陽射しがまぶしい。そう、何もかも昨日と同じに始まったのだ。ただ一点、自分の口の中に発生した異常を除いては――。
「嘘……だろ……?」
俺はババアの言葉通りに口内炎になってしまっていた。何でだよ! どうしたら良かったんだよ!
この口内炎、どんな薬物治療も効果をなさず、結局2週間ほど痛みに耐えながら自然治癒で治す羽目に。その間は食事や歯磨きの度に地獄の痛みを味わってしまった。
そうして口内炎が治った時には、長いトンネルからようやく日の当たる場所に出た時のような開放感を俺は感じていた。
人を口内炎にさせる口内炎ババア。もう二度と会いたくない。普通に怖いわ。