私が生きていることに、多分意味なんか、ない。
私が小説を書くことにも、意味はない。
私が書いた小説そのものにも、意味なんかないだろう。
私が生きているのは、生まれてしまったからにすぎないし、小説を書いているのは、書きたいから。
そうして生まれたお話は、ただのお話だ。
私が生きてることにも、理由はない。
死なないから生きている。
死ぬまでは、生きているのだろう。
小説を書く理由は、欲求を満たす行為。
そうして書かれた小説は、一体なんだというのだろう?
趣味とは、欲求を満たす行為だと思っている。
自分を楽しませるもの。
何もせずとも時間は過ぎていくのに、わざわざ何かをして時間を潰すためのもの。
自分の機嫌を取るためのもの。
有意義に、とか、自分らしく、とか言い方や捉え方は人それぞれだけど、生きることに余裕がある人や、そうありたいと思えるからこそ、意味とか、理由とかを考えられるのだ。
ただ、意味なんかなくても、理由はあとからついてくる。
そういうことも多いと思う。
なぜ自分はここにいて、なぜ小説なんぞ書いていて。
その理由を、私でない誰かがくれたりもする。
書いたお話を、受け止めてもらえることがある。
すごいな。
私にはわからない答えを、誰かがくれるんだもの。
誰かと繋がっていること。
それは沢山の友人、知人がいるということだけではなくて、自己満足で生み出された言葉がどこかに流れ着いた時にも起こりうる。
Web上でのほんの些細な呟きや、店員さんとのちょっとした会話。
無人島にでも行かない限り、他人と繋がらないでいることの方が難しい。
そして繋がっていれば、意味とか理由は、勝手に生まれる。
なんとなくそんな風に、みんな、生きてる。
時々、お話を書きながら登場人物の誰かに同調することがある。
これはお芝居で役を演じる時と似ている。(芝居よりずっと軽いけど)
書きながら、誰かの人生に入り込む瞬間、私の思考は私のものではなくなることがある。
普段なら思わないようなことを体感できる、とても楽しい、おかしな感覚だ。
自分の一部を投影することもあれば、キャラから影響を受けることも。
うん、書くってことは、とんでもなく刺激的だな。
書く人間は、少なからず刺激を求めているに違いない。
勝手な憶測。
──休み休みね、ここまで書いて思ったの。
私、なんでこんな話書いたんだっけ????🐔
当初の目的(?)を思い出せない。
まぁ、いいか。
今日もくだらない話。
思ったことを取り留めもなく書き連ねる近況ノート。
意味とか、ないしね。(笑)
さて、今日もぼちぼち。
シンフェリア ~願いの花の物語~(カクヨムコンテスト10)
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