「アマビエ女はSNSに自撮りを晒す」
なかなかの題名だと思います。
読者の方から感想で『なぜ「アラサーでもアイドルをやってやる!」という勢いのある主人公にしなかったのか』と問われた時は
物語の根幹に関わる話でまだ始めたばかりでしたので
あえて主人公論ではなく作品論のみを語らせていただきました。
俺TUEEE作品が最近の潮流となっているのが小説界の紛れもない事実だと思います。
俺TUEEEは安定して売れます。
強い主人公が道を切り開いていく姿は予定調和で安心感があり、自身がその存在である、と思い込むことで万能感にわくわくするからです。
……それで、あなたは現実に戻ってくる。
戻って来て、現実の自分と向き合えますか。
「俺キリト」なんて言葉がTwitterに踊った時期があります。
俺は○○(個人名)という一人の人間だと誇ることができず、創作の中の人物であると思いこんでしまう。
これってバカにして笑っている人もいますけど、深刻な事態じゃないですか。
勿論、そういう作品も多くあっていい。
けど、そういう作品しかなくなってしまうと、小説は本当にただの「現実逃避」としての手段となる。
大勢の読者にとってはそれでいいのかもしれません。
ただ、少なくとも読書家だった頃の私は小説によって辛い現実から逃避していただけではなく
歩道橋から衝動的に飛び降りたくなっても必死に踏みとどまる力も得ていました。
その力をくれたのは決して主人公が優れていた作品ではなく、自分と同じように、何かしらの悩みを持つ現実的で平凡な主人公が勇気や何かしらの奇跡で前に進む作品でした。
「月波早苗」はアマビエに取り憑かれ、現実に苦しみながらも一歩ずつ進むことでオタク達にも出会い、アイドルとして輝き出します。
私はこれからどんどん作品を生み出していきたいと思います。
俺TUEEEも書くかもしれません。
でも、それらの作品のうちの1/3くらいは過去の私を救えるような、そんな作品を書きたいと思っています。