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フェミズムと日本的価値観

 昨今、大衆向けのイラスト、特に胸の表現やスカートの長さなどについて非常に議論が活発となっている。具体例としては「献血ポスターの宇崎ちゃん」などが挙げられる。
 第4回日本レポート審議総括所見では女性の『過度な性的描写』に対して警告している。この『過度な性的描写』というものが厄介な問題となってくる。なぜならそもそも日本は女性の身体的特徴についての価値観の歴史が独特である可能性が指摘されるからだ。
 「胸の大きい女性はけしからん」といった流言がある。これは何も最近の話ではない。
 着物の着付けをしたことがあるだろうか。着物はまず「胸を潰す」ことから始まる。お腹周りにタオルを巻き、胸が平らになるように工夫をして「寸胴」になってからようやく着物を上から羽織る。着付けしやすいのはお腹が少し出ていて胸があまり大きくない人。現代感覚で言えば「スタイルのよろしくない」方が「見た目が良い」とされる。
 やがて私達日本人は着物を着なくなりわざわざタオルで「お腹を盛る」必要もなく、「胸を潰す」必要の無い、カジュアルな服装を着るようになる。それと共に価値観はグローバル化され、大きな胸の外国人女性へ憧れを抱く人達も増えてくる。「お腹を盛る」時代から「胸を盛る」時代へとなっていったのだ。つまり、「女性の身体的特徴」として「好ましい」姿は海外文化の流入によって180度変わった。
 一方で主に男性達による「胸の大きさ論争」があるように、現代日本人の間では胸に対する、好みや価値観が多様化されていった。この論争の良し悪しはともかく、「胸を強調すること」が「過度な性的描写」と受け取られるようになったのはごく最近のことなのだ。
 さて、「献血ポスターの宇崎ちゃん」問題に戻ろう。彼女はアニメの胸の大きなキャラクターである。胸の大きなキャラクターを起用するだけで『過度な性的描写』にあたるだろうか。彼女は「胸を潰す」服を着させて身動きも制限されるべきだったのだろうか。結論から言えば、大きな胸の女性に対する差別に近い。似たような件では「茜さやさんのポスター」問題がある。茜さやさんはグラビアアイドルであり、ポスターではフリー素材として用いられた。その結果、横縞模様の服が大きな胸を強調しているとして炎上したが、公序良俗に反する物を除き、胸の大きな女性が何着ようと本来自由なはずだ。もし仕事の場や人前で「胸を潰す」必要があるなら胸の大きな女性にとっては職業差別にもなり得るだろう。「胸を潰す」時代はもう終わっている。
 フェミニストが日本における多くの風刺画や皮肉で40〜50代の女性として描かれるのも、「フェミニスト」という言葉自体はカタカナでまるで先進的にさえ感じられるが、一方で本質的には昔の日本の価値観に近いことからとも考えられる。
 一方で、フェミニストは正しい指摘をすることもある。例えば、「温泉娘」問題では『今日こそは夜這いがあるかも』などと妄想する『ロマンチスト』の未成年がご当地萌えキャラとしていた。万が一そんな女性がいるならただの性依存であり、精神科案件である。萌えキャラやる前に病院に行けとツッコミたくなるが、そういった普通から逸脱した表現こそ『過度な性的描写』と断言してしまって問題無いだろう。そもそも温泉のメイン客は女性のはずだが、女性に忌避されてしまうようなキャラクターを作り上げてしまうのもどうかと思われるが、客足が落ちようと知ったことはない。いずれにせよ彼らによる全ての指摘が誤っているとは言えない。ただし、感情的にならず、フェミニズムと日本的価値観をあくまで切り分けていかなければ日本でフェミニズムが支持され、根付くことは難しいだろう。

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