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パリィヌ工場の朝は早い その1

2 パリィヌ工場の朝は早い

 パリィヌ工場の寄宿舎は、起床時間が午前六時とされている。ヒトヨはそれよりも少し早めに起きていた。日々の睡眠は浅い。疲れが抜けないことに、もう慣れていた。
目覚めの後にはいつもどおり、ペニスが勃起しているかを手で確認する。返ってくる柔らかい感触は心境の投影か、ふてくされているようだった。
『今日も勃起してないか……』
 男娼であるパリィヌにとって、インポテンツというのは致命的な欠点だ。もちろんいくつかの薬を使えば仕事はできる。だがその分だけ心臓にダメージが入り、確実に寿命が削られてしまう。また、商品価値も下落してしまうため、自然な勃起が理想的だった。
 ヒトヨはため息とともにベッドから出て、起床のルーティンを始めた。
カーテンに隙間を作って外を覗く。湿気のない景色は見るからに寒そうで、差し込む光にはかすかな温かみがあった。ペニスに当てれば、少しは変わるだろうかと錯覚する。そして一息にカーテンを開けた。
 ぷつ、という音が聞こえる。これは放送が始まる前兆で、すぐに起床のラッパ音が鳴り始めた。
ヒトヨはベッドに戻って布団をたたみ、まだ寝ているテオに声をかける。
「起きたほうがいい」
「ん、起きてるよ……」
テオは目をつむったまま答えた。
「ニイナはもう化粧を始めているが」
 ヒトヨはそう言って、部屋の奥にある化粧台の方を見た。
その視線の先には、窓から差し込む光が埃を映しいて、神殿のような趣があった。そこで化粧をしているニイナは、天然の二重瞼で鼻は高く小さく、輪郭も整っている。日本人が考える完璧に近い容姿だ。しかしニイナは、そんなことはおくびにもださず、化粧水で下地を作った肌にファンデーションを塗り込んでいた。
「ヒトヨ、おはよ」
「ああ、おはよう」
 ヒトヨは言いながらまつ毛にマスカラを添え、チークをはじめ、最後に口紅を引く。そしてティッシュを口に絡めてすぼめると、先ほどよりは少しましになった自分の顔に気分が軽くなる。一度だけうんと頷くと、『まあ悪くはない』と心で言った。
 遅れて化粧を始めたはずのテオも、ほぼ同時に身支度を終えていた。テオは目こそ一重だが、鼻立ちと輪郭が鋭利に整っており、欧米人の性欲を煽るのに有利な容姿をしている。化粧時間の長さは、容姿の劣等感に比例するのかもしれない。
 顔の準備が整った三人はパリィヌ工場の制服を着ると、あとは使い道の困った時間を過ごし、六時二十八分、部屋の外に整列した。
 サイズが小さめに支給された窮屈な制服は、白のシャツだった。上部のボタンだけを留めて、下の余った部分を結ぶ。そうすることでへそが露出する。
授業で習ったところでは、これが我が国の立派な紳士を喜ばせることになるとのことだ。だからパリィヌはへその清潔さと、腹筋がきれいに割れている状態、体脂肪率十パーセント以下を維持しなければならない。
スラックスはタイツのように窮屈で、腰の位置がずいぶん低い。これはもちろん、へそを効果的に露出させるためであり、同時にペニスの輪郭を浮き彫りにするためだ。
 六時三十分、朝の点呼が始まる。長い廊下に一列になったパリィヌと呼ばれる少年たちは、勃起でスラックスをパンパンにしている。朝勃ちと呼ばれる現象のそれは、まるで自分は健康な男ですと挙手をしているようだった。
 誰にでも調子悪い日があるとはいえ、勃起しないヒトヨはたまらない劣等感に圧迫されていた。誰もが自分の股間を見て、あざ笑っているかのような気さえしていた。
 毎朝この時間は班ごとに点呼を行う。三人の不細工な教官が、まるで大名のように練り歩いている。先頭を歩くのは斎藤という教官で、五十路よろしく制帽からはみ出す髪に白が混じっている。旧日本軍を彷彿とさせる軍服めいた教官服、その右腕部には指導官であることを示す腕章が巻かれている。周囲を執拗に睨みつけているようだった。
当の本人は表情こそ取り繕っているが、並ぶ少年たちの股間をゲスの目で見ている。それは口角の皺が示すとおり、嫌な粘着質で計算高い性格の持ち主だった。
その左後方にいる新田教官は、この中では一番若く二十代半ばだ。パリィヌの朝勃ちをチェックする役目を持っている。叔父がパリィヌ工場運営の幹部であり、二年ほどすればすぐ本部勤務となる。
右後方に位置するのは三枝教官で、三十代後半の男だ。部屋の整理整頓の出来具合や脱走の兆候などを調べる役目を持っており、出世欲がないにも関わらず、その仕事を任されるだけの高い評価を持っている。
三人の教官は誰もが、若いペニスの隆起によだれを垂らしていた。
『獣が、死ね死ね死ね……』
 ヒトヨは表情には出さず、心の中で呪詛を並べる。それはまるで勃起できていない自分へと向けられているようだった。
 三人の教官がヒトヨたちの班の前に並んだ。
 右手を挙げて班長であるテオが「いちっ」と言い、続けてヒトヨも挙手して「にっ」と言う。そしてニイナが「さんっ」と言うが、斎藤教官は小首を傾げていた。
「一〇四番、なぜ手を挙げない?」
 実に不思議だと言わんばかりの表情は、わかりやすい嫌がらせだった。
一〇四番と呼ばれたヒトヨは、露骨に顔をしかめた。すると新田教官が、手元のバインダーにペンでチェックを入れることで、反抗的な態度を牽制した。
 ヒトヨは挙げたままの手を強く握りしめ、そのまま斎藤教官の鼻に落としてやりたくなった。だがそんなことをすれば、三人の教官の思惑に乗ることになる。なぜなら彼らはここ最近、ニイナを抱いていなかったからだ。
「答えてくれ、なぜ手を挙げない?」
「教官殿、挙げております」
「上半身はそうだな。だがなぜ下半身は挙手しない?」
「本日は調子が悪く……」
斎藤教官は鼻で笑うと、左後方に振り返った。
「新田、一〇四番が最後に勃起していたのはいつだ」
「先週の水曜日ですね。中勃起でした」
 その報告を受けた斎藤教官は、再度ヒトヨに顔を向けると、「ゴミが……」と小さく言った。
『ゴミはお前だ……』
 ヒトヨは拳を握りそうになっていた。しかし理性の力でどうにか抑え込む。
 自分が反抗すればするほど、ニイナを抱く口実を与えてしまうことになるからだ。それをさせないため、ヒトヨは心の中に荒れ狂う水を想像した。これをいまの自分の心だとイメージする。そしてその水がただの静かな水たまりになるように、意思の力で水面をなだらかにしていく。
 理想的なアンガーコントロールだったが、その努力は次の瞬間に水泡に帰した。斎藤教官はヒトヨの怒らせ方を知っていたからだ。
「はあ、まったく。一〇四番は都合が悪くなるとすぐだんまりだな。覚えているか、お前の高等部になって最初の肛門術の授業を。儂が担当だった。ローションを塗っているとき、お前はあれほど反抗的な目をしていたのに、突かれ始めるとまるで発情した猫さんのように泣き叫んでいた。あのときは、あんなに可愛かっ――」
 その言葉が終わる前に、ヒトヨは斎藤教官に掴みかかっていた。凄まじい初速ではあったが、腰に強い衝撃を受けてそのまま廊下に倒れ込んでしまう。同室であり友人であるテオが、タックルを決めていたからだ。ヒトヨが暴走してしまうことは、この場にいる誰もが簡単に予想できていた。
組み伏せることに成功したテオだったが、そのままヒトヨを制圧することはできなかった。元来の実力に差がありすぎて、すぐに態勢が入れ替わってしまう。
そしてヒトヨは立ち上がって、斎藤教官に襲いかかろうとしたとき、ニイナの声が廊下に響いた。
「願います!」
「なにか、二一七番」
 斎藤教官は新田教官の背後に隠れながら、冷静かのように返事をした。
 二一七番と呼ばれたニイナは、姿勢を正したまま述べる。
「教官殿、口唇術にわからないことがあるので、ご指導お願いしてよろしいでしょうか」
「ふむ……」
 斎藤教官は仏頂面ではあったが、一度だけ上唇を舐める。それを見たヒトヨはいまさら、自分が感情のコントロールに失敗したことを自覚した。
「いいだろう。では朝礼のあと私の部屋に来なさい」
「はい、ありがとうございます」
「うむ、では点呼良し。行くぞ」
 斎藤教官は言うと、ヒトヨには目もくれずに次の班へと向かい、新田教官と三枝教官もそれに続く。のしのしと大股で歩くその態度は、ヒトヨへの侮辱と、ニイナへの欲求だった。
「すまん……」
「いいよ、僕なら平気さ」
ニイナの瞳は乱れた前髪の奥で濡れていた。
「テオも、すまなかった」
「うん……」
 テオはどうにかヒトヨを抑え込もうと、いまだに腰にへばりついたままだった。
「ヒトヨ、気にしなくていいんだよ」
 ニイナのにっこりと笑った甘いフェイス。ハチミツのような肌に、朱が混じっている。こんな可愛い生き物が、いまから汚い中年の教官どもに蹂躙されてしまう。口に臭いペニスを頬張ることになる。
「すまん……」
 ヒトヨは改めて、心の底からつぶやいた。
「ヒトヨ、今度から強い怒りに飲まれそうになったら、僕との約束を思い出してよ」
「ああ、あの家か……」
 ヒトヨの心の中に、バスの車窓から見た風景が浮かんだ。林間研修に向かう際、初めて見た海と、そこにあった白い家。
 その海辺の光景に心を奪われた三人は、ともに誓いを立てた。工場から出荷されて借金を払いきることができたとしたら、そこに三人で住もうと。それまでどんな辛いことも乗り切ろうと。
「あの白い家でさ、僕らは毎日バーベキューをするんだ。花火もいいね、スイカも食べたいよ。ねえ、そのことをイメージしてごらんよ」
「いまここでか?」
「はやくっ、ほらテオもするんだよ」
ヒトヨは目を閉じて、遠い未来を描いた。三つの人影が交錯しては、寄り添い、抱き合い、笑い合っている。すると不思議なことに、その人影の微笑みが自分の顔に投影された気分になり始めた。じわじわと口角が上がっていく。
「不思議だ。心がすっとしてきた」
「僕もっ」
 テオも興奮したかのように同意する。
 ニイナはその二人の様子を見て、微笑みをさらに甘くした。
「これからはね、ヒトヨ。怒りでコントロールを失いそうなとき、白い家の約束を思い出そうよ。怖いときでも、悲しいときでも、悔しいときでも、いつでもいいんだ。僕はいつもそうしてるよ」
「ああ、きっとそうする。俺はこんな方法は授業では習わなかった。ニイナはこれをなにで知ったんだ?」
 ヒトヨは自然とニイナを抱き締めようとする。
ニイナはその脇からするりと抜けて振り返り、ハニーフェイスをたっぷりに言った。
「ああ、宇宙人の渡辺さんに教えてもらったんだよ」
「へえ……」
 ニイナはたまに妙なことを言う。



 朝食が終わると、八時四十分から朝礼が始まる。ささやかな連絡事項が伝えられると、九時から一時間目の授業が始まる。
パリィヌ工場のカリキュラムは学年が上になるほど、専門教養や実技実習の授業が増えていく。中でも特に重要視されるのは必修科目の口唇術、肛門術、行動心理学だ。
これらの評価が、これから出荷される店のランクに大きく影響する。だがそれがすべてではないところが、世界にパリィヌを輸出するジャパンクオリティだ。
例えばヒトヨが籍を置く従軍科では、格闘術や銃器の扱い、サバイバル訓練などがある。紛争地域での運用に特化したパリィヌは、国際的に珍しく、戦場の在り方を変えたとまで言われている。
もちろん日本の職人魂は、かゆいところに手を届かせるだけではない。ニイナが籍を置く特別国際科は、語学や作法といった様々なインテリジェンスを身に着け、世界でも高い評価を受けている。
そして普通科のテオは電話での受け答えや、おしぼりの扱い方などを学び、大衆風俗店で様々な業務を同時にこなせる仕様となっている。
 本日の一時間目の行動心理学は、世間のそれとは少し違っている。実際のところは男性の性心理をどう扱うかという内容に偏っており、パリィヌとしての実力に大きく影響する分野だ。
 行動心理学担当の土橋教官は、教室の黒板につらつらと文字を並べていた。
 黒板には男性の性行為時の特徴が説明されている。それは視覚で興奮するという基本から、それらを踏まえて相手をどう誘導するかということまで書かれている。
真面目な顔で抗議を進める土橋教官は、ずいぶんな年齢で勃起するかも怪しい。だが黒々としたちりちりの毛には、まだ性欲があるということが見て取れる。
 ヒトヨはその授業をただ漠然と聞いており、いまニイナがあの薄汚い大人たちになにをされているかを想像していた。
あのニイナの蜂蜜のように甘い肌が、斎藤教官のくさい唾で汚されている。そして汗と垢で汚れたペニスを口に頬張るよう言われ、大きなゴムの塊のように勃起していく。それはやがて肛門に挿入され、肛門術で締め付けなければ叱責される。
自分のせいでニイナが屈辱に合っている。こんなことになるなら、自分をコントロールしていればよかった。自分が犯されたほうがまだいい。
一方でテオまた、ニイナがどんなふうに犯されているかを想像していた。その悪い想像は股間と罪悪感を大きくしていく。
「テオくん、テオくぅん」
 その独特の巻き舌の声は、土橋教官の声だった。通常ならば学籍番号の下三桁で呼ぶが、なぜそうしないのかは誰も知らない。
ヒトヨとテオは同時に、意識を目の前に戻した。
「集中できていないようだね」
「ご、ごめんなさい……」
「謝罪するということは、集中していなかったいうことだね」
 笑いながら言った土橋教官は、腰にぶらさげたラケットに手を伸ばしている。その動作だけで、この笑顔が偽物だということが確定した。
「いえ、そういうことでは……」
「ではフェラッツィオとイラマッツィオは、どこの言葉だと私は言ったかな。集中していたならばわかるはずだ」
 これはずるい問題だ。独特な巻き舌が発音に影響していることを、土橋教官本人が利用している。
 テオは迫真の顔で答えた。
「イタリア語です」
「そうか、ではお尻を出しなさい」
 正解や不正解と言われなかったテオはしばし固まり、数秒後に不正解だったということに気付くと、スラックスを下ろして机に手をついた。露出したテオの尻は、つるんと白く、肛門のあたりにうぶ毛が生えている。
土橋教官はそこにラケットを大きく振りかぶると、渾身のスマッシュが炸裂させた。ぱぁん、という乾いた音が飛び、教室の壁に吸い込まれていく。
 土橋教官はその音を耳で味わい、尻が赤く染まっていくのを堪能すると、「いいかね」と言って人差し指を立てた。そしてテオの肛門をノックする。
「フェラッツィオとイラマッツィオは英語だよ」
「はい、ごめんなさい……」
 土橋教官は人差し指をしゃぶって教室を見渡した。そしてヒトヨに目を合わせる。
「ではこの二つ、注意すべき点はどこかね?」
 ヒトヨは額に銃口を突き付けられている気分で答えた。
「発話者の使う英語が、アメリカ英語かイギリス英語かで、発音が変わるところです」
「違うよ」
 土橋教官は嬉しそうにそう言うと、ヒトヨの背後に回る。
 ヒトヨは仕方なく、自らスラックスを下ろした。すぐにがさついた指が、肛門に侵入してくる感触に襲われる。
「ヒトヨくん、これは実にイージーな話だよ。イラマッツィオは、イマラッツィオという間違えられることが多い。その理由はよりメジャーな単語であるフェラッツィオの後半部分、つまりラッツィオという尾音と似ているからだな。この部分がイタリア語と勘違いされることの原因だ。まあ、こないだのワールドカップで、カテナッツィオという言葉が広く知られたことも一役買っているな。わかったかね?」
 土橋教官は言い終わるのと同じタイミングで、人差し指を肛門内で曲げた。
 ヒトヨは悔しさを飲み込み、代わりに「わかりました」と言う。
土橋教官は謝罪も付け加えろと言って、尻を強く叩いた。自分の頬こそ打たれたかのように赤くして。


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