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「パクリ」と「サンプリング」について

 どうも名無之です。
 今日は最近、巷で取り上げられている「パクリ」について。しいては「サンプリング」について話していきます。

 多分どこかで詳しく話をすると思いますが、最近の僕らの小説(What’s Done Is Doneしかないんですけれど)には「サンプリング」という手法を使っています。
 サンプリングとは元は音楽用語で、既存の曲の歌詞やメロディーなどを流用して全く新しい曲を作り上げるという手法です。最近ですと、米津玄師さんの「Kick Back」という曲はつんくさんの曲をサンプリングして話題になりましたね。それを小説に落とし込んで僕らはやっています。
 
 説明を聞いて分かったと思いますが、サンプリングって見方を変えると「パクリ」なんですよ。だって元ネタがあるわけなので。でも、「サンプリング」と「パクリ」には大きな違いがあると思っています。
 DJのマーク・ロンソンは「サンプリングは、作者がその曲になりたい。曲そのものに自分を落とし込みたいから行っているんだ」と言っていました(これもサンプリングです笑)。要は、今の自分を形作った曲とか物語を重ねることによって、作品により厚みが増すようになるんです。

 では、パクリとサンプリングの違いは何かというと、そこに「オリジナリティ」があるかだと思います。全く改変せずに使えば、それは著作権の侵害になりますし、そうでなくともユーザーとの信頼関係は凋落の一途をたどるでしょう。

 そういう意味では「オリジナリティ」が「曲そのものになりたい」に繋がっているのかもしれません。

 ちなみに、直近——と言っても、もう1年半以上前の作品なんですが——What’s Done Is DoneはタイトルをSeven Lionsの同名の曲をサンプリングしています。冒頭には彼の曲を彷彿とさせるシーンも入れています。あと物語の終盤のシーンはシン・エヴァンゲリオンのラストシーンをサンプリングしたりとかしています。

 そんな形でサンプリングをしていますし、これから発表する小説もサンプリングを所々していたり、いなかったりします。そういったところを探しながら読んでみると、より楽しめると思いますので、ぜひ今一度、僕らの小説を読み返してみてください。

 というわけで、今日はこれくらいで終わろうと思います。
 それでは。

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