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情緒的な文章と理詰めの文章 その2

例えば、夢に出てくる世界・場面はちぐはぐですが、悪夢でもない限りは心地良く、また見たいと思うことがありますよね。夢から醒めた時に「現実に引き戻された」とガッカリした経験は誰でもあるはずです。
同じように小説でも、心地良い文章が理路整然としているとは限らないのではないかと、最近思うようになりました。窮屈な理屈から解放されて、感情を刺激するような描写・回想に浸っている時、読者は心地良さを感じるのではないかと。
歌を聴いている時、冷静になってみれば歌詞がちぐはぐであると気付くことがありますよね。しかしこれは、リラックスして聴いている時は全く気にならないものです。むしろ、余計なことに頭を使わなくていい分、心地良く感じるのではないでしょうか。
もちろん、まったく関連性のないものを適当に並べればいいというわけでもないでしょう。描写、回想はなるべく近しい感情を想起させるものが好ましいと思います。
前回、アルスラーン戦記は理詰めで迅雷伝(ナルト)は情緒的と話しましたが、確かにアルスラーン戦記の文体は理路整然としていて、散文的な書き方が少ないように感じました。徹底した三人称視点だから当然なのかもしれませんが……
反対に迅雷伝では、主人公がぼんやりと物思いに耽ったりする場面がよく出てきて、断片的というか散文的というか、そんな描写が目立ちます。

描写の参考にと、夢について調べたり迅雷伝を読み返したりしているうちに、以前書いた近況ノートの内容と結びついたので、共有してみました。
自分の作品の場合は、あまり情緒的な文章を書いているととんでもない長さになってしまいそうなので、基本的に理詰めした方がいいのかな……と思います。
ひと段落してスピンオフ作品を書く機会があれば、一人称視点の情緒的な文章にチャレンジしてみたいです。

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