宮古湾海戦の話で、必ずと言っていいほど出てくるのが『ガトリング砲』です。旧幕府側の史料には載っているのですが、なぜか新政府側の史料には書かれていないようです。(まあ、公式記録が必ずしも事実とは限らないことは、戦争記録ではあることですが……)なので、現在では、宮古湾海戦ではガトリング砲は使われなかったというのが歴史研究家の一般的な見解のようです。
江差の開陽丸記念館には、ガトリング砲の弾丸が展示されています。一説によると、山内六三郎が横浜に停泊している甲鉄艦から『連射砲』を持ち出して開陽丸に積んだと自伝で語っていたとのこと。だとすると、旧幕府軍の方が、ガトリング砲を持っていたかもしれませんよね。それに、ガトリング砲が元々甲鉄艦にあったのを知っていたから、甲鉄その他からの連続射撃をガトリング砲と思ったのかもしれません。あくまでも個人的な想像ですが。
開陽丸が沈んだ海域からは、ガトリング砲の本体は発見されていないらしいです。何処に行ったんでしょうね?
この夏、江差に行って、更に悩んでくるつもりです(笑)。
拙作では、多くの通説にならい、ガトリング砲、使わさせていただきました……!