昨年暮れから叔父が形見として遺してくれた世界文学全集85巻を読み始め、現在第21巻目に突入。皮肉なことに第21巻はロシア文学。それも、トルストイの『戦争と平和』です。
僕はロシア文学が大好きで、一旦読み始めると夜も寝ないで体を壊すまで読み続けてしまいます。父が戦後4年間ソ連に抑留されていてロシア語を話したことや、映画を専攻していた学生時代から、エイゼンシュティンやプドフキンやドヴジェンコの映画をゲロを吐くほど観ていたことで、僕はどちらかというと親露派でした。ウクライナもロシアと同じくらい好きでした。なのにプーの奴、戦争なんか始めやがって、悔しくてかなしいです。
それでも、トルストイを一通り読んだら、プーシキン、チェーホフ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、ゴーリキー、ショーロホフ…等々に、ロシア文学ヲタクの僕がドップリ浸るのは必定。時間がいくらあっても足りず新作は当分の間書けません。以上、新作を書けない苦しい言い訳でした。
因みにソ連三大映画監督の一人ドヴジェンコはウクライナ人。ゴーゴリもグロスマンもブルガーコフもウクライナ人。『ペンギンの憂鬱』のクルコフはウクライナ人作家ですがロシア生まれ。ロシア文学とウクライナには親和性があるのです。
ウクライナの首都「キエフ」がいつの間にか「キーウ」になっていて、僕的には小混乱でした。どの地図にもキエフと書いてあるけど、マスメディアも日本政府も勝手に地名をかえるなよ。キエフがロシア語読みだからだめなのかい。敵性語を追放した戦時中のどこかの国と同じじゃないか。ニュースでウクライナの人たちが話している言葉、僕にはキーユゥと聴こえるんですけど、どうせ敵性語追放するなら「キーユゥ」にしたら如何だろうか。
『ビルマの竪琴』が『ミャンマーのサウン』じゃ、竹山先生、泣いちゃうとおもいます…ちょっと違うか。