人の作品を読んで分析して文章にまとめることがそんなに難しいことなのか?と、ある作家さんは疑問を投げかけられました。
最近は諸事情もあり、他の方の作品にお邪魔できていない現状ではありますが、他者の作品に対する向き合い方について私も改めて考えました。
私がカクヨムで小説投稿を始めて最初に応援コメントをいただいた時、最初に文章つきのレビューをいただいた時、それはもうとても嬉しかった。コメントをくれた方と文章つきのレビューをくれた方のユーザー名は今も覚えています。
でも、同時に感想コメントをいただけることや文章つきのレビューをいただけることが当然ではないことも、活動を続ける中で学びました。
読んでもらえるだけ有り難いのです。普通に考えて、素人の一次創作を目に留めてもらえるだけでも凄いことですよ。二次創作ならそれ自体のファンがいますが、一次創作はまず、存在を知ってもらわなければならない。
自分の作品への感想や文章つきレビューなんて、読んでもらえたそのまた先の話です。
過去の私の近況ノートにこんな記述がありました。
【悲しいことにコメントがくることが稀なので、その分、ひとつでもコメントがあるとめちゃくちゃむちゃくちゃ喜びのダンスは踊ってるんですが。】
喜びのダンス、踊っちゃうんですよね。私もそうですが、他者の作品への感想をコメントで残すって、ある人には勇気や緊張を伴うことだったりするんですよ。
私もネットコミュ障なので、それこそはじめましての作家さんにはドキドキでコメントしたり、文章つきのレビューを書いたりしています。
小説投稿サイトって完全なる読者(読み専)と完全なる書き手(書き専)と読者兼、書き手の3種類で構成されていますよね。
特にカクヨムは、読者兼、書き手が多い印象です。
他者の作品を読みつつ、並行して自分の作品を書いている作家さんがほとんどです。
公募やコンテストの締め切り間近で他人の作品を読んでいる場合じゃないっ!そんな暇ないっ!な作家さんだって沢山います。
それでも読んでくださる方がいる。ありがたいお言葉を連ねたコメントやレビューを残してくださる方がいる。
「読んでもらって当然」でもない。
「感想コメントや文章つきレビューも書いてもらえるのが当然」でもない。
平等である24時間で仕事学校、家事育児介護など、様々なことをこなしながら皆さん執筆活動をされています。
そして同じように切磋琢磨する作家さんの作品の更新を楽しみにしたり、癒やされたり、励まされたり。
決して、自作を読むことの強要や感想コメントや文章つきレビューの強制なんてしない。それは作品を気に入ってくれた方の好意で与えていただけるもの。
私の作品を読んで感想を書け!レビューを書け!と読者のリアクションを当然のように強制されたら、誰もその人の作品なんて読みません。
その作家さんのその作品が好きだから、感想のコメントを残します。文章つきのレビューで伝えます。すべては自主的な「好きだから」の気持ちあればこそ。
過去には私もカクヨムで色々ありました。その時の反省点も多くあります。
だからこそやさしく謙虚に、生きたいものですね。