アリ・アスター監督の『へレディタリー/継承』を見た。
タイトルの継承はおそらく王位継承の意味だが、自分はそれより「畏怖すべき存在としての母親」と「おばあちゃん子の悲劇」を描いた映画と思った。
どちらも日本の観客に深く刺さるテーマだ。
映画は祖母の死から始まるが、その夫(つまり祖父)は若い時うつ病になり食事を拒んで餓死している。
おそらくこの祖父が最初の犠牲者である。もしかしたら祖父は自分が悪魔の「器」になるのを拒んで自裁したのかもしれない。
この祖父の死については劇中ほとんど触れられない。
また長男ピーターの肌がアジア的に浅黒い点にも全く触れられない。
たぶんかつて母親が不倫していて、ピーターは母親と不倫相手との間にできた子どもと推察される。
母親がピーターに向かって「(あなたを)生みたくなかった」というのは夫に不倫を悟られたくなかったという意味であろうか。
「おそるべき母親」を描いたコンテンツは二十一世紀になって一気に増えた。
エミネムのラップや日本の漫画『血の轍』など枚挙にいとまがない。
というか若く優れたクリエーターほど「おそるべき母親」を描く傾向がある。
これは世界的な現象で、この現象はこれからも続くと思う。
いったい「母親」になにがあったのだろう?