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受け手に委ねる、という事

(下の方にいくと、今放送中のアニメに関するネタバレが少々含まれますので、ご了承ください)





先日、7月から放送中の夏アニメを、アマゾンプライムで旦那と一気見しました。
内容は、所謂シンデレラストーリー。
虐げられた令嬢が、婚約者と出会い、世界を知っていく。
最近実写化もされた、ビッグタイトルです。

旦那が職場の人(あまりアニメ見ない人)にオススメされたという事で、半ば話題作りのため、見始めました。

ところがいざ見始めたらとても面白く、旦那も私も引き込まれてしまいました。
内容や絵は一旦置いておいて、私が一番注目したのは、設定です。
その物語は、シンデレラストーリーの中に、「あやかし」「異能」といった、ファンタジー要素が組み込まれていたのです。

なんでこの世界にはそんな異能があるのか、何故あやかしが人を襲うのか…など、アニメの中ではほとんど説明がありません。
(原作の中にはあるのかもしれませんが、未読なので、申し訳ありません)

それでも、そんなざっくりした説明しかなくても、
あやかしが人を襲う
それに対抗する異能(超能力)を操る人間がいる
その2点だけで、すんなり受け入れてしまった私と旦那。

テンプレ、といえばそれまでですが、

昔から日本には、そういう概念がある。
だから説明はいらない。
私はそう感じました。

設定を細かく考えると、世界観に深みや奥行きが生まれ、それがリアルな描写に繋がります。
例えば、異能を発動する仕組み、詠唱、それが人体に及ぼす影響、などなど。
ともすれば、物語に出てこなさそうな設定を考えてる時間が、一番ワクワクしたりもします。

でも、時には受け手の想像に委ね、説明を省く。

そこは自分がこの作品で、一番書きたいところなのか?
その説明は必要か?
読み手はそこを求めているのか?
そう自分に問いかける事も、時には必要なのかもなーと、思いました。

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