デリム帝国。
レーム大陸最大の国家である。広大な国土の半分は砂漠、褐色の肌が特徴的なデリム人は過酷な環境に耐えながら魔物を駆逐し、国土を拡大し続け大帝国を築き上げていた。
軍はデリムセブンソード筆頭が率いる獅子の騎士団の下に、鳳凰騎士団、鷲爪騎士団、月光の騎士団、近衛騎士団、法操騎士団、鉄鼠騎士団の六の騎士団がある。それぞれの騎士団長は残り六名のデリムセブンソードが務めている。
「せいっ!」
「腰をもっと落とさんかっ!!」
「はいっ!」
「訓練と気を抜いてる奴は、俺が後ろから蹴り飛ばすぞっ!」
「おうっ!!」
デリム帝国城内第七訓練場では、多くの兵士たちが身体中から汗を流し、槍を振るっていた。炎天下の中である。さすがに鍛え抜かれているデリム帝国の兵士たちでも、二時間も経つと疲労は隠せない。
「そこまでっ! 一旦休憩とする! 再開は十分後だ。水分補給を忘れるなよ」
教官の声に安堵の表情を浮かべる兵士たち、日陰に入ると座り込んで水瓶の中にある温い水を|柄杓《ひしゃく》で汲み、音を立てながら飲み干す。
「ぷっは~、うめぇ」
「おいっ、早くこっちにもよこせよ。干からびそうだぜ」
柄杓を奪い取ると別の兵士が水を頭から被り、身体からは水蒸気が立ち昇る。第七訓練場では他にも多くの騎士や兵が汗を流しながら訓練を続けていた。
「ふぃ~、今日もバカみてえに暑いな。
そう言えば、あの件ってどうなったんだよ?」
「あの件ってどの件だよ?」
「マスレム村の近くに、オークの集落が見つかった件だ」
マスレム村は緑生い茂る豊かな大地だ。そこで栽培される様々な作物の多くは帝都で売買され、帝都民の食欲を満たす非常に重要な村の一つといえた。
その大事な村の近辺にオークの集落が見つかったのだ。ゴブリンと並び強い繁殖力を持つオークである。直ぐ様対応すべきであったが、ここで騎士団同士のメンツがぶつかり合った。曰く、マスレム村は帝都の食糧事情を支える重要な村である。ならばここは皇帝の近衛を兼ねる近衛騎士団から派遣すべきと主張する貴族。いや、近衛騎士団は皇帝を守護するのが役目、皇帝の傍を離れては本末転倒である。ここは月光の騎士団が誇る第十七大隊を向けるべきである。
多くの貴族が、自分たちの息子や親族のいる騎士団から兵を出し、手柄を立てようと牽制しあっていたために、いまだマスレム村へ兵を派遣することができずにいた。特に自分たちの騎士団から派遣すべきだと粘っていたのが、団員の八割が貴族で構成される近衛騎士団だった。だが、|ある《・・》出来事が起こり、近衛騎士団の発言力が弱まったのだ。
「ああ、あれか。鉄鼠騎士団第六十四大隊に決まったそうだぜ」
「やっとかぁ。早く対応しないとまずいからな」
雑談をする二人の兵士に、休憩していた他の兵士たちも興味が湧いたのか雑談に混ざる。
「その話なら俺も聞いたぜ。あそこの奴らは血の気の多いのばっかだ。オークの千や二千どうとでもなるだろう」
「まあ、確かにそうかもな。俺はまた近衛騎士団の奴らがでしゃばると睨んでたんだがな」
「それがさ。近衛騎士団の中で、なにかあったみたいだぜ」
「なにかってなんだよ?」
「馬鹿野郎っ! わかんねえからなにかって言ってんだろうが。なんでも近衛騎士団内でも緘口令が敷かれてるらしいぜ」
緘口令が敷かれるほどの出来事を予想して、兵士たちが賭けまでし始めていると。
「貴様らっ! いつまで休憩しているか! 早く訓練に戻らんか!!」
教官に怒鳴られると、兵士たちは慌てて訓練場内へ走った。
※
デリム帝国城内の大食堂では騎士や兵士、文官など城内で働く多くの者が、昼食を楽しんでいた。
「ビアージョ大隊長っ! どういうことですか!」
鎧を着た男の大きな声に大食堂内の一角へ視線が集まった。
「カルメーロ、落ち着けよ。今回の任務に不満でもあんのか?」
カルメーロと呼ばれた男の周りには、十人ほどの男が同じようにビアージョへ詰め寄っていた。
「任務には不満はないです。不満があるのは俺ら鉄鼠騎士団第六十四大隊が、なんでガキのお守りしなくちゃいけないんですかっ!」
揉め事かと見物していた騎士の一人が、隣の同僚に目線を送る。
「見ろよ。ありゃ鉄鼠騎士団第六十四大隊の奴らだ」
「ああ、副大隊長のカルメーロに周りの奴らは中隊長たちだな」
「どうせマスレム村のオークの件で揉めているのだろう」
「なぜ? 派遣で揉めていた近衛騎士団から、皇帝直々に鉄鼠騎士団を指名したそうじゃないか」
「それが原因だ。今回のオーク討伐の任務に貴族の子供を同行させるそうだ。それも今回初陣の」
「ああ、なるほど。そりゃ揉める理由だ。近衛騎士団と違って鉄鼠騎士団の多くは平民出だからな」
貴族の子供が初陣で兵や騎士を率いるのは珍しくない。簡単な任務で周りを精鋭で固めて確実な勝利を手に入れるためだ。勿論、手柄は貴族の子供のモノとなる。
鉄鼠騎士団の六割は平民出の者たちで構成されている。中でも第六十四大隊はほぼ全員が平民出なので、貴族への反発心は随一であった。
「これはガース様が決めたことだ。それに明日には出発するんだぞ? 今さらガキみたいに駄々をこねてどうすんだ」
「だ、団長が決めたんですかっ!?」
ビアージョの口から鉄鼠騎士団団長ガースの名前が出たことで、今まで興奮してまくし立てていたカルメーロを始め、周りの者たちも口を噤む。
鉄鼠騎士団団長ガース・ドー、デリムセブンソード唯一のダークエルフ――――それも女性である。聖国ジャーダルクほど過激ではないにしろ、デリム帝国でも亜人差別はある。そんな環境の中、己の実力のみでデリムセブンソードの位にまで上り詰めたガース・ドーは、多くの平民や兵士からは憧れの存在であり、慕われているのだ。
翌日まだ日が昇って間もない時刻に、デリム城西門の前には鉄鼠騎士団第六十四大隊、総勢千名が並んでいた。どの隊でも言えることであるが、討伐任務前というのは若干興奮状態になるものである。しかし、第六十四大隊の者たちは明らかに度を越していた。殺気立っているともいえた。
「よし! 全員いるな。もうすぐ今回のオーク討伐の指揮官が来られる。名はジョゼフ・|パル《・・》・ヨルム殿だ!」
大隊長ビアージョの言葉に、事前に知っていたとはいえ大きなどよめきが起こる。
「まじかよ……そのジョゼフってガキはどこの|お《・》貴族様なんだ?」
「それが貧乏貴族らしいぜ。歳は十、しかも母親の方はデリム人じゃなくよその国からわざわざ娶ったらしいぜ。半分よその国の血が流れているガキのお守りだぜ? 笑っちまうよな」
「笑えねえよ……。なんで貧乏貴族のガキが今回の任務に参加するんだよ。
言っとくがな。簡単な任務じゃねえぞ? 上の奴らがくだらねえ争いしてたせいで、オークの数は少なくとも三千には膨れ上がってるそうじゃねえか」
「ばーか。簡単な任務じゃねえのは、ここにいる全員わかってんだよ!」
「だったら――――」
「罰らしいぜ」
「はあ? 罰だあ?」
「近衛騎士団が、月に一度大演習をしてるのはお前も知ってるよな?」
「馬鹿にしてんのか? そんなもん誰だって知ってるわっ!」
「おいっ、唾飛ばすんじゃねえよ! まあいい。その大演習中に貧乏貴族のガキが殴り込みしやがったんだとさ」
「「「まじでっ!?」」」
周りで盗み聞きしていた者たちも、そんな大事件が起きたなど初耳で思わず反応した。
「ああ、本当の話だ。それで近衛騎士団団長のアルフレッド様が直々にボッコボコにされたんだとよ」
「そんときの罰で今回の討伐か……いや、待てよ。なんかおかしく――――」
「来たぞ」
男の疑問は現れた少年の姿にかき消された。
ラムパカと呼ばれるラクダに似た乗り物に跨がり背には鋼の槍を背負った少年は、隊員たちの前まで来ると、ラムパカから飛び降りる。
「見ろよ、あの肌の色。レザーアーマーにレザーブーツ、武器は鋼の槍だぜ。貧乏貴族の小倅ってのは本当みたいだな」
「俺らのほうがよっぽど良い装備だぜ」
隊員たちが小声でジョゼフを馬鹿にする。
ビアージョがジョゼフへ挨拶をしようとしたそのとき、カルメーロが割って入ってジョゼフを睨みつけた。今まで何人もの若輩貴族が、カルメーロに睨まれて萎縮し、なかには涙を浮かべる者までいた。
カルメーロの後ろにいる隊員たちは、ジョゼフがどう対応するのか見ものだとでもいう風に嘲笑していた。
(こんなクソガキが俺らの指揮官だと? 絶対に認めねえ!)
カルメーロは鬼のような形相でジョゼフを睨みつけるが、ジョゼフから反応がないことに気付く。
「おい、俺はカル――がふっ!?」
カルメーロが口から血を流す。石畳の地面に拡がる血には歯が何本も混ざっていた。ジョゼフが鋼の槍の石突きでカルメーロを殴ったのだ。
「て、てめぇっ! なにしやが――――」
「誰が喋っていいって言った? 後ろの奴らもヘラヘラしやがって殺すぞ」
ジョゼフに殴りかかろうとしたカルメーロも、後ろで嘲笑していた隊員たちも凍りつく。なぜなら、ジョゼフが放つ殺気に気圧されていたからである。鉄鼠騎士団の中でも精鋭で知られる第六十四大隊の隊員たちが、僅か十歳の子供が放つ殺気に動けずにいたのだ。
「大隊長は誰だ?」
「自分が鉄鼠騎士団第六十四大隊大隊長を任されているビアージョです」
「俺がジョゼフだ。ガースになんて言われているか知らねえが、お前らの面倒まで見る気はないから勝手についてこい」
自分たちの慕うガース団長を呼び捨てにしたジョゼフに、凍りついていた隊員たちの頭の中は一瞬にして怒りで真っ赤になる。当のジョゼフはラムパカに跨るとさっさと走り去っていった。
「ジョゼフ殿に遅れるな! 出発!」
ビアージョが号令をかけると、隊員たちは慌ててラムパカに跨がりジョゼフのあとを追った。
「あのクソガキ……許さねえぞっ!」
「落ち着けってカルメーロ。どうせ俺らの力がなけりゃ、オーク討伐は無理なんだ。あのクソガキが力を貸してくれって頭を下げにきたときに、仕返ししてやろうぜ」
いまだ怒りが治まらぬカルメーロを同僚の男が宥める。
「……それもそうだな。オークの数は三千以上。俺らの力がなけりゃ勝てっこないんだからな」
「そういうこった。それよりも、お前があんなクソガキの突きを躱せなかったことのほうが、俺には驚きだぜ」
「…………少し油断しただけだ」
油断していた。カルメーロは言い訳するように呟いた。そうでなければ、僅か十歳の少年が放った突きが見えなかったなどと、認めるわけにはいかなかった。
※
「あのガキっ! 一体いつまで走る気だっ!」
「このままじゃラムパカがへばっちまうぞ」
帝都からマスレム村まで、ラムパカで走れば普通の行程で十日ほどで着く。しかし、ジョゼフは休憩も入れずに走り続けていた。
最初はジョゼフのほうが先にへばると高を括っていた隊員たちであったが、二日目の朝を迎えても速度を落とさないジョゼフに、暑さに強いラムパカはまだしも騎乗する隊員たちは限界が近付いていた。
やっとジョゼフが休憩を入れたのは、二日目の正午に立ち寄った村であった。
だが、そこでラムパカにたらふく水を飲ませると、直ぐ様跨がり出発する。隊員たちはジョゼフの正気を疑った。こんな速度で行軍しても、隊員たちだけでなくラムパカも潰れてしまう。そうなれば例えマスレム村に着いたとしても、オークから村を救うどころか自分たちが全滅するのは明白であるからだ。
「な、なんでビアージョ大隊長は文句を言わねえんだ? カルメーロ副大隊長より手の早いあの人の性格なら、真っ先にぶちのめしてるはずなんだが」
「ぜぇぜぇっ、知らねえよ! 今はそれどころじゃねえだろうがっ!!」
この時点で、鉄鼠騎士団第六十四大隊の二割が脱落していた。残りの八割も疲労困憊で、このままマスレム村に辿り着いたとしても、使い物になる状態ではないだろう。
「情けねえ奴らだ」
ジョゼフは自分の後ろで必死に付いてくる隊員たちに苛ついていた。いや、ジョゼフは自分を取り巻く全ての環境に苛ついていた。
母親の血が濃くでたジョゼフの肌は褐色ではなく白色で、髪は金色ではなく銀髪であった。
弱小貴族の子供として生を受け、周りにいる貴族たちからは肌の色や身分で常に見下され育ってきたのだ。齢十にして、ジョゼフの心が荒むのも無理はないと言えるだろう。
マスレム村が見えてくると、第六十四大隊の数は五百を切っていた。どの隊員も肩で息をし、ジョゼフを恨みの篭った眼で睨みつける。
隊員たちには当然マスレム村を救いたいという気持ちがあるが、それ以上にジョゼフが自分たちに頭下げる姿を見たいという思いが強かった。
本来十日かかる行軍を四日で到着したのだ。どれだけジョゼフが無理を強いたかが窺えるだろう。しかもジョゼフはマスレム村に寄らずに、そのままオークの集落に向かったのだ。絶句する隊員たちをよそに大隊長ビアージョのみが笑みを浮かべていた。
「く、来るのが遅すぎたんだ。こ……こりゃ三千じゃきかねえぞっ!」
遠目の付与魔法をかけた隊員が丘の上からオークの集落を見て、その規模に驚きを隠せない。オークの集落は予想を遥かに上回る規模に拡大しており、集落の周りには柵のようなものまで設置されていたのだ。
「ビアージョ大隊長……八千……いえ、万は超えていますよ! すぐに帝都に増援を要請して最低でも二個連隊……できれば一個旅団は必要かと……」
五百対一万、如何に精鋭の第六十四大隊とはいえ、戦闘をすればどうなるかは子供でもわかるであろう。
「おいおい。俺に言ってどうすんだよ。
今、この第六十四大隊の指揮官はジョゼフ殿だ」
皆の視線がジョゼフに集まる。最早ジョゼフに頭を下げさせて、溜飲を下げるなどと言っている場合ではなかった。
一刻も早く帝都に増援を要請して、すぐに受理されたとしても編成や準備でどんなに早くとも一ヶ月はかかるだろう。
その間に旺盛な食欲を持つオークたちが、マスレム村を襲わない確率のほうが低い。早く村人を避難させ、増援がくるまでどう守り通すかを考えねばならなかった。
「ビアージョ大隊長っ! 今はそんなことを言っている場合ではありません!! すぐに誰か、帝都に増援を求めに行くんだ!」
隊員の一人が我慢しきれず、ビアージョへの語気が荒くなる。白魔法を使える隊員がラムパカの体力を回復させ、付与魔法を使える隊員が身体能力を強化する魔法を唱える。慌ただしく行動する隊員たちであったが――――最初にカルメーロが気づく。
「あのクソガキどこ行きやがった?」
「まさか逃げたんじゃ!」
「ふざけんじゃねえぞっ!!」
ジョゼフが逃げたと思い込んだ隊員たちが、口々に罵り合うのだが。
「ジョゼフ殿ならあそこだぞ」
ビアージョの指差す方向に全員が視線を向けると、オークの集落から争う雄叫びや戦塵が見えた。
「ま、まさか……あのガキ……たった一人で…………!?」
「ビアージョ大隊長っ! すぐに助けに行きましょう!!」
カルメーロが叫ぶやいなや、槍を手にする。
「おや? カルメーロ、お前はジョゼフ殿が嫌いじゃなかったのか?」
「嫌いに決まってるでしょうがっ! あんなクソガキ! でも……あんな……あんなガキを無駄死にさせていいわけない!!」
丘を下ろうとするカルメーロの手を、ビアージョが掴んで止めた。
「なぜ止めるんですかっ!?」
「まあ待てよ。こうなるだろうなーって、ガース様は予想してたんだよ。
ほら、出発前に誰かが話してたろ? 近衛騎士団の大演習中にジョゼフ殿が殴りこんで、アルフレッド様にボッコボコにされたって。おかしいと思わないか?」
「おかしいってなにがですか?」
「仮にだな。鉄鼠騎士団が演習している最中に、見たこともないガキがガース様と一騎討ちさせてくれって言ったら、お前どうする?」
「そりゃ……させるわけないでしょう」
「そうだよな? 近衛騎士団もそうだったんだよ。アルフレッド様の周りを何千何万の騎士が守っている中、ジョゼフ殿は蹴散らして一騎討ちに持ち込んだらしいんだ」
ビアージョの話に隊員たちは静まり返り、オークたちの雄叫びが先ほどより大きく聞こえる。
「俺もさ、カルメーロと一緒でどこの誰かも知らねえ貴族のガキが、指揮官になるのが我慢できなくてガース様のところに行ったんだよ」
ビアージョは恥ずかしそうに頭を掻きながら、大きく一度溜息をついた。
「そんときに近衛騎士団とジョゼフ殿の話を聞かされてさ、今回のオーク討伐ではジョゼフ殿に一切協力しなくていい、どれほどの者かその眼で見届けるがいいって言われたんだよ」
「なんで……その話を俺らに言ってくれなかったんですか?」
「言ったって信じねえだろう? 数万の軍に一人で突っ込んで、ボッコボコにされながらもアルフレッド様を|倒した《・・・》なんて」
「は? た、倒したっ!?」
「そっ! ボッコボコにされながらも倒しちまったそうなんだよ。それであんだけ固執してたオーク討伐を近衛騎士団は辞退、推してた貴族連中もだんまりよ。それもそうだよな? 団長のアルフレッド様が十歳の少年に倒されたんだからな。近衛騎士団の見ている前で。おかげで近衛騎士団の連中には緘口令が敷かれてるそうだぞ! ざまあみろってな?」
がはははっ、と大声で笑うビアージョとは裏腹に、隊員たちはいまだ戦闘の繰り広げられているオークの集落に目を向けた。
「おい……あれからどれくらい時間は経った?」
「一時間以上……化け物かよ……」
オークたちの雄叫びはやがて悲鳴へと変わり、二時間後には悲鳴どころか音さえ聞こえなくなっていた。第六十四大隊の隊員たちが丘を下りオークの集落に入ると、そこには全身をオークの返り血で真っ赤に染まったジョゼフが、山のように重なったオークの死体の上に座り込んでいる。
「ほらよ」
ジョゼフは槍の穂先に刺していたオークの首を、ビアージョの足元へ放り投げた。
「これは……オークキングっ!?」
万を超すオークの集落である。オークキングがいてもおかしくはなかったのだが、それを容易く屠る十歳の少年がいるなどと、誰が思うだろうか。
「ジョゼフ殿、どちらへ?」
「あとはお前らだけでも大丈夫だろう。俺は帰る」
あれほど憎んでいたジョゼフの後ろ姿を、第六十四大隊の隊員たちは英雄に憧れる少年のような目で見送るのであった。
※
万に及ぶオーク、それもオークキングが率いるにもかかわらず、単騎で全滅させる。しかし、デリム帝国の記録ではオークキングではなくオークジェネラル――――オークの数も万から千へと記されていた。あまりにも突飛な話であり、大隊長ビアージョの報告は信用するに値せずと修正されたのである。
これがジョゼフ・パル・ヨルムの初陣であった。