公開した記事の裏話的に。
本気で伝えようとした途端、動きが見事に封じられました。
まず起きたのは、慢性的に人材不足の部署にやっと来た待望の新人。
系列会社からの移動で、配属されました。
配属になり、1週間を迎えようとしていた時、例の皆既月食がありました。
その皆既月食を境に、社長から今すぐ人材を戻すという指示が発令。
しかも、朝イチの電話でこれからすぐ戻ってこい状態だったのです。
普通に考えて、ありえない人事移動だとしても…そんなミラクルが普通に起きるんです。
この人事異動から始まり、皆既月食を境に私を追いつめる為の作戦のごとく、トラブルであったり疲弊する出来事ばかり続きました。
最後は貰い事故?と思えるほど、攻撃性をむきだした悪意によって、リアルに攻撃されるわけです。
そこまで追い詰められた時、諦めるしかありませんでした。
もういい、全てを放り投げ出してもいいとさえ思いました。
思考が止まったのです。
大きな使命を果たそうとしていた思いも、根こそぎ削ぎ取られるかのようでした。
無気力となり、何も出来ない中…1年前から抱えていた龍を彫るオーダーについて、動きがあったのです。
それは私の気力が削がれてから、手付かずになっていたオーダーでもありました。
やらなきゃ行けない思いで作るくらいなら、作らない選択をしていたのです。
作品に命を吹き込めなければ、意味が無いと思ったからです。
1度はキャンセルになり、流れるだろうと思っていたにもかかわらず、先方の答えは待ってますという意思を伝えてくださった時、気づいたのです。
作らせていただいていること。
仕事も自らが選び、働かせていただいていること。
基本の根幹が腐っていた気がしたのです。
その龍の彫刻は、繋いでは行けないとある場所を繋いでしまったことへ、関わってしまった方の免罪符になると天照様から神託されていたものでもありました。
もちろん、先方は知りません。
それでも先方の方は言うのです。
自分たちの守り神になると、仕上がりを待っててくださいました。
失った熱を注ぐには、さらに熱い思いであると私は思います。
人の想いが人を動かすのです。
そんなに作品を待ち望まれることが、どれほど幸せなことなのか。
作家として、応えなければならないという思いから、再び火が灯り始めてからの作業は作れなかった苦しみを上回る作品にし上がろうとしています。
同じテーマで作る三作品目であり、過去作を超えることが作家である私の挑戦になっています。
その龍も間もなく完成しようとしています。