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またまた久しぶりに


ちょっと今回は硬派な話を書き下ろしで述べてみますね。

アタクシもグジュグジュの思考を整理する為に、吐露する事をしないといけないなぁと思う所存でございますので、ちいとばかしお付き合い願います。

「文章を書く」という事には、小説の様な創作だけでなく、色々な分野があります。ただ何かしらを自分以外の人に伝える手段の一つとして、アタクシは「文章を書く」行為を選んだ訳なのですが、初めの頃はただ単純に、文章を書いて形にしたいという欲求だけではじめたけれども、何年も書いて行くうちに、やはりコレは「伝えてゆく事」を、書く事自体の主題なのだと改めて心に湧き上がって来たのでございます。

創作サイトやグループに於いて「書きたいけど書けない。何を書いたらいいのか分からない」と言う人がけっこう多いのだけれど、そう言っている人は、話している事や言葉やノリから判断して若い人たちだと何となくわかります。全ての若い人たちがそうだとは思いませんが、若い人たちはあまりテーマを重視していない様に思えます。志向より嗜好で書こうとしているので、何を書いても同じ物語になってしまう。それは直ぐに話が尽きてしまう。

物語のカタチにする前に考えておくべき物事があるはずで、それがテーマになるはずだと思います。思い悩む事は誰にでもある事で、たとえそれが自分自身の悩みではなくても、周りの誰かの悩みであったり、普遍的な問題であったりと人生や社会生活には、解決出来るかどうか分からなくても、考えるべき物事が無数に有る。そしてそれをカタチにする一つの手段が文章に興すという事なのだと思います。
発信や主張を開陳して文章にするのは、文章テクニック以前に、差し障りがないかどうかの難しさがあります。

テーマとして選ぶ物事への問題意識。
たとえば「差別」
このテーマは社会生活の中で解決されるべき問題であるけれど、中々一筋縄にはいかないのも事実で、その為に「出来るだけ触れずにおこう」という、何というか「引っ込み“事案“」となっていると思います。差別をテーマに小説や随筆を書くのはかなり勇気のいる事ですし、独自の見解は揶揄され易く、誰もが思っていそうな事を書いても読み手の意識を喚起し得ないジレンマがあります。

人はオーソリティに弱いので、名も知れない人間のポツンとした主張などには、そうそう耳を欹てる事はなく、何かしら立場のある人間の言葉には同調したりするものです。そこには差別とまではいきませんが、差別の根底の一部分が含まれている様な気もします。人は平等に物事を捉える事などまず出来ない社会で人生を送っています。長い歴史の流れの中で差異と同調を繰り返して今日に至っている。その時系列には今日まで一度たりとも平等なる社会はありませんでした。
それはそうです。差別とは先ずはこの地球上の生命の千差万別から始まっている事なのだから。自分の命、自分の種の命の保全からなのだから。
種。種族。形が違うだの色が違うだのの見た目の違いから始まって、生活圏という地域の違いから物事のプライオリティにも差が生まれ優劣が作られる。そして遺伝子とか。
それはどうしようもなく仕方のない事。
では「平等」とは幻想なのか。平等な社会とは在り得るのか。答えはわからないけれども、考えてゆく事それ自体は大切な事だし、文筆業者・作家は心に留めて置かなければならないテーマの一つであるはずです。
大きな差別、小さな差別。そのボリュームは様々だし一人では手に負えない事の方が多いですが、伝える事は大事にしていかなくてはならないでしょう。知らない事もたくさんあるのですから。
政治性も利権も偏見も含まれる事案なので、偏向・バイアスもある問題。

今回の話は「文章を書く」事に於いてをメインに据えましたけど、ここに載せたのは表現方法としては文章だけでなく映像表現もまた然りだと思っているからなのです。

そもそもコレを書こうと思ったのは最近、NHKの『映像の世紀』というプログラムを改めて観たからなのです。人間の過去の愚かさの事実を映像として残して伝える番組です。ドキュメントなので事実を伝えているのですが、編集の仕方によっては偏向する事は幾らでも可能です。実際、戦時中のナチスや日本の大本営は自国民に対して都合の良い形でプロパガンダしていました。

アタクシたちは自分たちの事を知っている様でよく知らないでいます。

学校の歴史の授業から学んだ事など何一つありません。教え切れていないからです。そもそもカリキュラムとして時間的に無理があるとも思えます。
海外の人は日本人が自国の歴史をしっかりと知らない事にかなり驚くと聞きます。おざなりだから仕方ありません。やはり必要な知識は自分自身で学ぶしかないと思ってしまいます。

アタクシは時代劇を書くにあたって、かなり日本の歴史資料を漁りました。恥ずかしいほど知識も言葉も知りませんでした。そして今どうしてもテーマの行く末を考えて書くことが停滞しています。責任感などは更々無いのですが、成し遂げられない事には苛立ちと忸怩たる思いはあります。
ここにこうして文章にしておく事で、自らを奮起させておくという思いでおります。
オリンピックのアスリートも勝っても負けても素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれたので(^^)

中途半端ではありますがこれくらいにしておきます。お付き合い頂き有難う御座います(*´꒳`*)

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