こんばんは。
まずは更新予定について。
近日『覚醒器官』の更新を行います。
展開がここからどんどん進展するので、ようやく書きやすくなってきました。それでもなお、説明が不足していたりぼんやりしている部分もあるため、苦心はまだまだ続きますが……。
しばらくは『覚醒』と『インソムニア』を交互に更新していく形になると思います。
『インソムニア』に関しては、一つ目の夢探索を終えたところ(チャプター1が終わったら)ゆうさんの企画にエントリーしようと思います。
さて、最近よく考えるのがキャラクターの「人間像」についてです。
映画やアニメに慣れ親しんでしまうと、どうしてもキャラクターを記号的に認識しがちなのだと思っています。
例えばギークやジョックであったり、ツンデレややれやれ系などのように、「一言で言い表せてしまう個性」に囚われる事がままあります。
しかし人間一人ひとり、そう簡単に捉えきれない生き物なのは当たり前です。
つまりは完全な善人なんて早々いないし、理解の及ばない哲学を持つ人のほうが多いものです。
そんな中僕は、非常に優れた人物像を持つキャラクターは誰だろうと考えた末、まず一人見つけました。
『鋼の錬金術師』のゾルフ・J・キンブリーです。
彼は完全に悪人だし、裁かれて然るべき行いをしていました。しかし不思議と嫌いにはならず、むしろ好意的にすら感じてしまう魅力がありました。
それはきっと、彼の持つ哲学と芯のブレない生き方にあったのだろうと思います。
彼には彼の哲学がある。それはかなり特殊で偏向的ではあるけれど、彼自身それを絶対としているわけではなく、またそれが世間一般では異常である事を自覚している。
時に自分の価値観を否定されたり、正反対の考え方を見せつけられても、彼は決して拒絶しない。
「なるほど、そういう考え方もあるんだね」とまず一旦受け止める。
彼にとって重要なのは、考え方そのものではなく、それを貫いているかどうかなのです。
だから彼は殺戮を至上の快楽としているし、軍人である以上はそういった現場から逃げてはいけないと思っている。
けれどアームストロング少佐がイシュヴァール人を逃がそうとしても、それを責めたりはしない。彼なりの「殺すより救いたい」意志を尊重する。
エドワードの「殺さない覚悟」にも共感はせずとも納得はする。
そういった様々な人の様々な生き方を決して否定せず、しかし自分の生き方を貫く姿勢が魅力になったのだろうか、と解釈しました。
彼には目立った過去などが明かされていないのも優れたポイントです。
僕にとって、このような何重にも折り重なった人物像、一言では捉えきれない姿というのが非常に好きで、自分もこういう風にキャラクターを描けたらなと常々思います。
そんな端書きでした。それではまた。