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書くことを考えさせられた日

5年前、僕はすでに物語を書き始めていた。
日常から切り取った、非日常の入り口を開けてしまった物語というのが、そのころのスタイル? でした。

”完全なるオリジナルは存在しえないか、あったという錯覚にすぎない”

僕に影響を与えた作家というのは確かにいて、僕の中の引き出しや、作法というのは、S・キングや夢枕獏の中にあった。

それほど平凡でも、或いはそれほど劇的でもない人生を歩んできたものにとって、現実の出来事よりも、創作物として見聞きしたもののほうが、ネタや書きたいという衝動につながるものだと、僕は思う。

そういうことを、大いにぐらつかせたのが3.11だった。それは9.11でも地下鉄サリン事件でもなく、豊田商事会長刺殺事件や毒入りコーラ事件でも、あさま山荘でもない

パラダイムシフトという言葉が僕の創作に対する姿勢や考え方や感じ方に対してぐっとのしかかってきた。

”こんなときに、いったい何を書けばいいのか”
なんてことを自問自答して、ある作品を書き始めた。

それは自分が観た3.11、東京の風景をできるだけそのまま描写することだった。そして僕の中で起きていた心の動きを書くことだった。

『静かなる老人』というその作品は、『帰宅難民』を体験し、その時に感じたこと、妄想したことを書き綴った作品で、その後の自分の『スタイル』に少なからず影響を与えた作品になった。

『カクヨム』には、今回『スターシーカー』の中の一遍として手を加えて投稿した。

あの時、肯定していたものを、今回は否定する形で締めくくっている。この5年で、何かが変わったかということよりも、この作品群に入れるのであれば、という意図で書き換えたのだが、案外それは『無意識の予定調和』なのかもしれない。

あの日を境に、日本は変わった。
あのとき、『きっとこうなる』『そうならなければいけない』と思った気持ちと、今とでは、やはりどこか違ってしまっているのではないか。

これまでの5年がこの先の5年にどう、影響するのか。
そういうことを今日一日、じっくり考えてみようと思う

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