日本語の韻律はモーラ(拍)で構成されます。音節との違いは「っ」や「ん」など母音がつかないところも一拍に数えるところです。英語のschoolは一音節ですがスクールは4モーラになります。
日本語の定型詩は行のモーラを一定数に保つ事を目指します。七五調なら12モーラ。同じ内訳で延々と続くと単調になって飽きてくるので私はモーラを維持したまま内訳を変える、という事をやっています。
七五調でいえば、八四、六六、十二などの内訳で一行を書くわけです。
日本語には西洋詩や漢詩のような意味での詩というものがありません。なので、余所の詩学を参考にしつつ、伝統的な詩型、実際には歌型になりますが、これらを使って色々と試してみようと考えています。
これは昔から試みられていた事で、例えば「荒城の月」の土井晩翠は七五七五を一行とする文語体定型でホメーロスの韻文訳をしています。
このほか、マインドトラベラーの【総序】では枕詞を連の冒頭に置いていますし、これなんかは最も日本的な言語表現のひとつてもあり、散文とさほど違わない文を「詩」だと言い張るよりはずっと魂に響く、とも思うのです。
もっとも、散文は心に響かないと言ってるわけではなく、日本語の詩について色々と考えたいだけです。これは自分だけの考えであり、声高に主張もしないし、違うと言われても改めるつもりもありません。
ちょっと逸れてしまいましたが、日本語の詩歌はモーラが基本というお話でした。