よく言われているのは、物語を感情的に処理するタイプの人間と、論理的に処理する人間。私見に過ぎませんが、町田苑子は前者で竹下千歳は後者なのだと思います。では、紅坂朱音は?
これまた私見に過ぎませんが、紅坂朱音は後者ではある、が、高坂茜は前者である。というものです。そんな彼女を変えたものが苦すぎる失敗であり、それにより失った仲間なのだと思います。純粋培養お嬢様が、鋼鉄メンタルの怪物に変貌する……そんな物語がこれなわけですが、今はまだ、蛹の殻をノックしている段階です。
そして、一つ言いたいことはたとえ蝶に羽化したとしてもその蝶がかつて蛹であり、芋虫であったことに変わりはありません。失ったわけではなく、変化しただけ。
意味深なことを書いていますが、大した意味はありません。では、また次回ということで。紅坂先生の新作のタイトルどうしようかと悩む今日この頃。