恋愛話を書いていくとどうしても共依存という問題にぶち当たります。
共依存とは自分に欠けているものを他人に補って貰う事で安定を図る行為で、行き過ぎればヤンデレやストーカーといった危険な存在になる可能性があるため精神的疾患であるかのように悪しきように評価される事が多いものです。
僕は恋人や夫婦とは共依存を積み上げて行く行為だと考えて居ます、完璧な人間など居ませんし、完璧に近いヒトでも弱る時間が必ずあるものです。子供の時は親のスネを齧り、発情すれば誰かを抱き、衰えれば介護を受ける。そんな事をしていない人てもムラムラ、イライラ、ムカムカは日常的に起き、それを解消してくれる存在が居たら好きになり一緒に居たくなる。
僕は恋愛関係とは己の不足部分を補おうと思わなければ発生しない物だと思っています。気を時間と労力と金を使う恋愛なんてものは、相手からの何か得るものが無ければする価値が無いと思うからです。
日本で最初の男女と言われる伊邪那岐と伊邪那美は己の不完全な部分である余った部分(男根)と足りない部分(女陰)を補い合うことで夫婦となりました。バンバンしまくってバンバン子供を作って日本を作っちゃうんですから相当の共依存関係だったと思います。
結果として伊邪那美が死んだあと、伊邪那岐は死者の国まで妻を追いかける日本初のストーカーになり、醜い姿を見られた伊邪那美は日本初のヤンデレになるんですけどね。
日本人であれば皆がストーカーとヤンデレの子孫なんですから共依存しちゃうのは仕方ないんじゃ?と思うわけです。