お気に入り俳優(One of my favorite actors)であるところのホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)がDCの『バットマン』に出てくる敵役(antagonist/villain)であるところのジョーカー(JOKER)を演じた作品を観てきた。
今日は(後述するかもしれないが暦の上で)仕事の締め切りが3つも重なっている特異日であり、今から13時間ほど後に3つ目の締め切りがやってくるというタイミングであるため、この文章は30分以内に書けるところまでで終わることになる。
20時16分に書き始めたので、20時46分がカットラインである。
もっと早く書くのを止めるかもしれない。
木曜日の17時10分。キネカ大森という東京の映画館に私はいた。
フリーランスの翻訳者なので時間の都合はつけやすい方なのだが、本当なら別の日に観たかった。
しかし、この映画館で『ジョーカー』が掛かるのは今日までであり、私の手元には1月末で有効期限が切れてしまうテアトルグループの株主優待券が2枚あった。
仕事の進捗が上手く行っているようであれば観に行っても良いことにしよう、と思っていた私は昨日必死に働き、観に行く権利を勝ち得たのだった。
普通の映画館に比べて上演前のトレーラーが少ないテアトル系ではあるが、今日はいつもに増して少なかった。
前にも観たことのある片桐はいりの『もぎりさん』のショートムービー1本に続いて『No More!映画泥棒』と『上映中のマナー』が掛かったかと思うと、唐突に『ジョーカー』が始まった。
上映時間は約2時間。
観終わったときに私は今自分が観たもののうち、虚構として描かれた部分がどこであり、事実として描かれた部分がどこなのかを考えていた。
ぱっと思いつく限り、映画の中には9件の殺人が描かれている。
アーサーが犯した5件の殺人と、バットマン誕生につながる2件の殺人、電車内で起きた1件の事故と呼ぶべき殺人、そして最後のシーンで暗示された1件の殺人。
元をたどればすべてアーサーが原因で人が死んでいるのである。
だが、彼は幻覚症状を持っている。
もしかすると、彼が犯した電車内の殺人は彼の犯行ではないのかもしれない。
彼が現場に残したはずの緑のかつらが物証として出ていたら、「犯人は仮面をかぶっていた」という話にはならないのではないだろうか。
アーサーは、殺人ピエロという存在を自分と重ね合わせて自分こそが、あの「JOKER」なのだと思い込みたかったのかもしれない。
もちろん、すべての記憶が彼のものであるのかもしれないが……。
おっと、残り3分で書き終わらなくてはならない。
https://prnt.sc/ql9wi2このキャッチコピーを見てほしい。
どうしてこんなことになってしまったんだろう、と私は思う。
この文章を書いた人は、あの映画を何もわかっていないのではないか、とすら思う。
「心優しい」?
違う。アーサーは心優しくなどなかったのだ。
いや、悪意のない子供に対してだけは別かもしれない。
彼はただの鏡だ。
自分が受け取った悪意を世に向けてもっと邪悪な形で放出する存在だ。
そこに個性などはなかった。
そして、ジョーカーというペルソナを手に入れて、ようやく彼は完成したのだ。
時間が来たのでここで終わりにするつもりだったが、1か所だけ翻訳者としてこだわりたいセリフがあったので、ロスタイムに突入する。
比較的序盤、母親のペニーを入浴させているアーサーのシーンだ。
「コメディアンになる」という話をするアーサーに、ペニーは言うのだ。
「コメディアンになんてなれるの?」と。
アンゼたかしさんが、なぜその訳を当てたのかはわからないが、
英語音声ではもっと残酷な言葉が、天真爛漫に発せられていた。
"But don't you have to be funny to be a comedian?"
これは、ものすごく重要なセリフのはずなのだ。
私が脚本家ならば、最高のラインが書けたと思う。
実際、脚本を書き、メガホンも取ったトッド・フィリップスは、このセリフで暗転して次のシーンに繋ぐという手法を使っていなかっただろうか。
「でもそれ 面白い人がなるんでしょ?」という訳を当てたい。
子供のころからコメディアンを目指し、折に触れ母親に否定されてきたであろうアーサーは、病により認知症状を呈していると思しき母親に、また否定されるのだ。
そう、彼は面白くない。
人とは驚くほど笑いのツボがずれている。
彼があげるヒステリックな笑い声は、病気の症状である、と説明されるが、泣きたい気持ちのときと同調圧力によって生じるものだと思う。
(地下鉄でのシーンは彼の仕業ではなかったのではないか、という考察に通じる部分でもあるが、もうロスタイムの10分を迎えるので今度こそここで終わりにする)