今回はしょうもない前置きはなしにして、さっそく本題に入ります。
3月から投稿を始めた「はゆるの漂流」が、やっと完結しました!!!!
約4ヶ月半、それはもう一心不乱に駆け抜けた……というわけではまったくないのです。物語の進みもわたしの書くスピードも投稿頻度も、極めてのんびりとしたものでした。
それでも、エタりも長きに渡る中断もすることなく、どうにか完結まで持っていくことができました……!!
完結時点(08/02)で☆162、♡1800超、応援コメント80超、PV3900超……と、どういうわけかわたしの投稿作品中いちばんの反響をいただく作品となってしまいました。
一話でも読んでくださった皆様、そして今も続けて読んでくださっている皆様へ。
本当に、ありがとうございます。
(わたしの中に皆様への最大限の感謝を表明する語彙が⬆これしかないというのが本当に悔しいです😢)
さてさて、小説に対して作者自身が小説以外の文章であれこれ言うのって、実はわたし今までそんなに好きじゃなかったのです。
だけどどうせ独りよがりな近況ノート、変にカッコつけたって仕方がなかろうということで、今回ばかりは徹頭徹尾自己満の境地なあとがき的なものを、ここに記しておこうと思います。
※右側のスクロールバーを見ていただくと察しがつくかと思いますが本当にアホほど長いため、興味のない方は遠慮なくブラウザバックしてくださいね🥺
まず、この物語を構想し始めた当時の話をいたしましょう。
わたしは普段、作品のインスピレーションは音楽から得ることが多いです。好きな音楽からイメージを膨らませてお話にするという、YOASOBIさんのちょうど真逆のようなことをして物語を作ります。
「はゆるの漂流」の場合ですと、2023年の1月末に禁断の多数決という大好きなバンドの『とけるんです』という楽曲を聴いていた時、それこそ天啓のごとく「憑依中に抜け殻となった身体が奪われてしまう女の子の話」というアイデアだけが頭に浮かんできました。
これは紛れもない事実なわけですが、好きな音楽を聴いてたら急に物語が思いつきましたというのはさすがに少し無理があります。
(別に憑依や漂流をテーマにした楽曲でもないし🤔)
音楽が起爆剤となったのは間違いないとして、それまでにわたしの頭の中に〝火薬〟として充填されていたなにかしらがあったはずなのです❤️🔥❤️🔥
というのを考えてみますと、それはおそらく同じく1月の終わりに足を運んだ、大学の卒業作品展ではなかろうかと思います。
わたしが通う大学では、毎年その年度に卒業する美術学部の学生による作品展が開催されます。一般大学では4年生の時に卒業論文の執筆や卒業試験があるように、美術系の大学では卒業制作というのを行うのです。
大学構内や美術館に展示された個性豊かな作品たちをたくさん見て、そのたびに各学生の4年、6年ないしはそれ以上に渡る創作活動の集大成をモロに食らってふらふらになりながら歩いておりますと、ふと、「自己と他者」や「アイデンティティ」「心・人格」「人間の本質は肉体と精神のどちらにあるのか」……といったテーマの作品が多いように感じました。
そうした傾向は昨今の生成系AIやVR技術の進歩などを反映したものなのかもしれません。わたし自身、それらのテクノロジーに対しては思うところもありましたので、きっと卒展で見た作品群が心に残っていたのです。
このような経緯があって、「肉体を取り上げられた時、人はどうなるのか?」という問いから出発してひとつのお話を作ってみよ〜〜〜!!!
と決めたのが、ちょうど2月の始まりの日でした。
……などと大上段に構えていたわたくしですが、2月の間、安直な発想をひどく後悔するほど懊悩呻吟することとなったのです。
それもそのはず、主人公が行方不明の物語なんて、どうやって書けばいいの!?!?
見切り発車で書き始めたはいいものの、まったく未知の設定で筆がすいすい進むはずもなく、それでも牛の歩みのごとくのろのろ書いておりますれば致命的な矛盾が生じて急遽設定を変更する羽目に、その結果既に書いた部分も大幅に変更して……というのを繰り返し繰り返し、どうにか冒頭3話のみ完成して投稿まで漕ぎつけたのは、3月ももう13日となり春の足音が我々のお耳に届く頃のことでございました。
投稿初日に更新した近況ノートには、以下のような切実な声が残されています。
「この近況ノートの投稿時点でまだ基本設定と登場人物と大雑把すぎる展開しか考えておらず、結末がどうなるかわたしにも一切わかりません」
これはまったく本当にその通りでした。
しかしわたしの性格上、構想に長い時間をかけたところでどうせ書いてる途中で辻褄が合わないところが生じて変更を余儀なくされるのです。
ならば構想も中途半端な段階でとりあえず走り出しちゃえー!!!
と衝動で押し切ったのは、今思えばまあ結果オーライな選択だったのかもしれません。
このノートをここまで読んでくださっている優しいあなたへ。ギガハイパーネオアルティメットラブです。
長い前置きでしたが、こんな感じではゆるちゃんの漂流の記録はのんびりと始まり、そして4ヶ月半かけて終わりました。
主人公の和泉 映(いずみ はゆる)という高校1年生の女の子は、少し不思議な体質を持っていることを除けば、どこにでもいる普通の子です。
衒学的で変わり者で自意識過剰で妄想力豊かで、どこにもいなさそうに見えて、こういうどこにもいなさそうな感じを出してる子こそ、世の中意外とたくさんいるのです。
どこにでもいるから、彼女の見せるいろんな表情だって、実は至って単純なものです。
「冷静沈着の擬人化」を自称しつつ、身体を失くしてさすがに取り乱す。親友の優しさに触れてほっとする。仲良しの男の子を適当にあしらう。あしらった後で、度が過ぎたかもしれないと後悔する。優しい言葉をかけられて途方に暮れる。そんなふうに強がりながらも、本当は不安で仕方がなくて、年上のお姉さんの前(というより身体の中)では泣いてしまう。そして泣いてしまったことを恥ずかしがる。かっこいい人に下の名前で呼ばれて照れる。怒る。焦る。反省する。また泣く。ほんの少しだけ笑う。
このお話は、わたし的には「映ちゃんがあの手この手で身体を取り返そうと奔走する話」というよりは、「喪失を通して、一人のどこにでもいる女の子が成長していく話」でした。
物語の中で、映ちゃんは自分の身体をはじめ、いろいろな喪失を経験します。
それらをひとつひとつ乗り越えたり、乗り越えられずとも受け入れたりしながら、映ちゃんがちょっとずつ前に進んで、大人に近づいていく。
そんなお話を書いたつもりです🥲
感想に関しては読んでくださった方に委ねるほかないのですが、作者としては、めちゃくちゃ強引に書き始めたわりには、まあまあ納得のいく結末になったかなあと思います。
とはいえ、もちろん100点満点には程遠い出来でございます。
最終話の投稿前に、せっかくなので一から読み直してみました。
改善すべき点が無限に出てきました。
そもそも書く必要がないことをつらつらと書いている気がしました。
でも、それらを修正したらしたでなんか違う……となってしまいそうな気がして(あと単純に修正する気力と体力がなくて)、目をつぶることといたします。
といったところで、改めて「はゆるの漂流」は完結です。
今後気が向いたら、あるいはわたしの筆力や構想力が飛躍的に上昇したら、加筆修正を施す可能性はちょっとだけありそうです。
ただひとつ断言できるのは、続編を書くつもりはないということです。
映ちゃんとその愉快で素敵なお友達のお話については、少なくともわたしの語るべきことは語り尽くしました。
もちろん彼女たちの青春はまだまだ続くのだろうけど、そこにわざわざ立ち入るのも野暮ですので、そっと見守りたいと思います。
ありがとう、映ちゃん。
さようなら、映ちゃん。
この作品を通して出会えたカクヨムユーザー様が、たくさんいらっしゃいます。
拙作への温かい応援やレビューをいただき、私のほうも皆様の作品を拝読して……皆様との素敵な交流が生まれました。
そんなのは私にとってカクヨムを開始して以来初めてのことで、毎日アプリを開くのが楽しみになりました。
そういう意味では「はゆるの漂流」を書いてよかったと素直に思います。なんて思えるのも皆様のおかげ。
繰り返しにはなりますが、わたしの書くお話をほんの少しでも好きになってくれた皆様。
ありがとうございました!!!!!🥳︎💕︎︎✨
☾.*·̩͙⋆𝒈𝒐𝒐𝒅 𝒏𝒊𝒈𝒉𝒕*.🌙✩.*˚