https://kakuyomu.jp/users/ichigen/news/1177354054888026876詳細はこちらをご確認下さい。
(近況ノートにコメントありがとうございます。お返事書かせて頂きましたのでご確認下さい)
タイトルの通り、私が親しくさせて頂いていたカクヨム作家さん、大家一元さまが先日お亡くなりになりました。こちらに関しまして、カクヨムでの報告のために坂水さま、蒼井金太郎さまにご尽力頂きました。ありがとうございます。
少しずつ、語ることができるようになりましたので、この場を借りてお話をしたいと思います。
普通(普通?)こういうときはなんと言えばいいのでしょうか。「ご冥福をお祈りします」「お悔やみ申し上げます」そんな言葉を選べばいいのでしょうか。
最初にお話を聞いた(文字なので見た、ですかね)とき、そんな気のきいた言葉は一切出てきませんでした。今も正直、言葉になりません。
大家さんとは、とある作品のレビューで知り合い、似たような感性を持っていると言うことで、以来、たくさんお話をさせて頂きました。期間から言えばそんなに長い年月ではありません。大家さんと知り合ったのが比較的近い時期でしたので。それこそ私が自主企画をして本を読んでいなければ、この出会いはあり得なかった。
私が小説を更新すれば感想をくださり、エッセイまで追いかけてくださって。書評や作品との向き合い方に悩んでいればそれも含めて真っ直ぐな私だからいいのだと、励ましてくださいました。私は不器用な生き方しかできていないけれど、そんな私を人間らしいと言ってくれました。
訃報と、書評などへのさまざまなご意見と。色んなものが重なって、一月は半分近く、凍結してしまいました。カクヨムには、私の作品には、大家さんの足跡がたくさん残っていて、それを見るだけで泣いてしまいそうで。不安定になっていました。それほどまでに、私の創作活動において大切な方でした。
今の読書の在り方も含めて、私はどのように創作と向き合っていくのか。大家さんのぶんも創作活動頑張ります、なんて殊勝なことは言えません。
私にできるのは忘れないこと、思いを背負うこと、生きること。それくらいです。
世間様はお構いなしに、色んな言葉を節操なく投げつけてきます。でも筆を折ることだけはしてやるものかと思っています。自分を見つめ直したり悲しんだりすることはあれど、書評をやめたりすることはしたくない。今は心の整理や覚悟ができなくて、自信をなくしているとしても。書評を負担と感じてしまわないように。書き手も読み手も楽しめるように、後ろめいた思いがうまれないように。
ゆっくりと好きなものを読んで、好きなように書いて、小説とともに生きたいなと、私は思います。
時間はまだまだ。前向きに歩むにはもう少し足りません。傷口は開いたままで、でも悲観的に引きずらないように。
私という物書きは誰がなんと言おうと、私にしかなれません。