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SS71

今回の公開内容

没含めた雑多「星の目覚まし時計没部分」



 地表の奥。深く潜り込んだ先。
 物理的な観測を超え、その現象は発生した。
 
『アステルコア・メルトダウン――異世界転星が開始されました』
 
 警報が鳴り響き、司令室は真っ赤に照らされた。
 拡大された世界地図が変動を続け、各地域の観測所から次々と新しい報告が入ってくる。
 あらゆる電子機器が悲鳴のような音を上げ、大勢の人々が対処に追われながら走り回っていた。
 
「原始星基準値より推定年代1800年代。蒸気、鉱物の反応を多数確認。分類名スチームパンク。機械生命体の可能性が増大しています」
「人類大系は?」
「ヒューマン、ドワーフ、エルフ、その他も報告例が増加中。スライムのような流体生物も言語を持っているとのことです」
 
 蜻蛉の目玉をぎょろぎょろと動かし、報告を読み上げていく女性サポーター。
 隣で鶏の頭を持つ男が声を上げた。三本指の手を器用に動かし、新たな情報を広げていく。
 
「バグ発生! バグ発生!! 地図拡大領域の境界線より増殖中!!」
 
 司令室が一層騒々しくなった。司令官である男は、魚の顔で苦渋を浮かべた。
 苛立ちで馬の脚で貧乏揺すりを行い、わずかに逡巡した後に人間の人差し指で赤い緊急ボタンを押す。
 
「人衛機関ノーチラスへ伝達。観測政府より除去指令を下す! 速やかに星を荒らす害虫を潰せ!!」
 
 
 
 宝石の目を持った狼が走る。毛皮の代わりに黒い靄を身にまとい、時速八十キロで獲物を追いかけていた。
 真っ黒な蒸気を吐き出す車。屋根のないそれには三人の男達が乗っていた。一人は後部座席で煙突の釜に似た機関部に石炭を投げ入れ、火を熾し続けている。
 一人は手汗で滑るハンドルを握りしめ、最後の一人は助手席から猟銃で狼を撃とうと狙いを定める。
 
「なにが起こっていやがる!? ここはどこだ?」
 
 鬱蒼とした森を見渡し、大きな根っこにタイヤが弾んだ。その揺れだけで猟銃を持つ男は落ちそうになった。
 湿気が多く、水の匂いも強い。少なくとも男達にとって慣れた廃油や汚れた空気の臭いはなかった。
 整えられていない獣道を走る車から離れない狼。その異様さに運転手の男が悲鳴のような声を上げた。
 
「ウッドルゥの森じゃねぇ! エルフ達がこんな行為を許すはずがない! ここは……俺達の知る世界じゃない!!」
「じゃあどこだよ!? 伝説の妖精界か? 永遠の命を手に入れる試練なんて望んじゃいねぇぞ!」
 
 猟銃を構えながらも、男は混乱で頭が狂いそうだった。いつも通り三人で工場の下働きをしていたはずなのに、気付いたら森の中にいた。
 二日酔いのまま働きすぎたせいで、白昼夢でも見ているかと思った。
 しかし目の前で工場長の死体が狼に喰われた時、逃げることしか頭になかった。
 
「ああ、神様……息子だけでも、助けてくれぇ」
「弱気になるな! とにかく走らせろ! 森さえ抜ければ、少しはっ!?」
 
 運転手の弱音にげきを飛ばした男だったが、石炭をくべる手が止まった。
 空を隠す木々の枝。そこを足場に不気味な狼達がこちらを見下ろしている。たった一匹に、群れが待ち構えている場所に誘き寄せられた。
 狼達は全てが黒い靄の体だったが、牙が木の枝の個体、爪が釘の個体、尻尾が花弁の塊など、およそ生命とは遠い特徴を有していた。
 
「こんのっ!?」
 
 猟銃を向けたが、一匹が覆い被さるように跳躍してきた。それだけで腕ごともぎ取られ、車の遥か後方へ唯一の武器を落とされた。
 奥歯を噛み締めて痛みに耐える男だったが、運転手が顔面蒼白のままハンドルから手を離す。
 石炭用のスコップを持っていた男は戦う気概を見せたが、生まれたての小鹿のように足が震えていた。
 
「まだなにもわからないのに……こんなところで!」
 
 腕の断面から流れ出る血を手で押さえ、悔しそうに呻く。
 まともに走行しなくなった車にめがけて、狼達が一斉に襲いかかってきた。
 黒い靄から雑音に近い羽音が聞こえた。至近距離でようやくわかる程度だが、男達にとってそれは死神の笑い声だと思えた。
 
 刹那。
 
 炎が空中を走った。流星のような軌道を目に焼き付け、狼達を薙ぎ払う。
 靄が霧散し、宝石や花弁が散らばる。突如降ってきた残骸に男達は驚くが、それらは数十秒間は形を保ち、やがて空気に溶け消えてしまった。
 運転手がブレーキを踏む。急停止した車から事の成り行きを見守る内に気付いたが、炎と思ったのは人の形をしていた。
 
 肩まで伸びた赤い髪が動きに合わせて揺れ、青い瞳が狼を捉えて離さない。真っ黒な服を着て素早く動く姿は、鴉によく似ていた。
 二十代前の青年が、体のあらゆる場所を炎に変換して戦っている。装置や戦闘用義手をつけているわけでもない。
 
「人衛機関ノーチラスだ。お前達の世界名はわかるか?」
 
 狼が残り五匹になった時点で、青年は突如問いかけてきた。
 少しだけ余裕を取り戻した運転手だったが、咄嗟になにを言われたのか把握が追いつかない。
 
「世界名……?」
「人間界の呼称じゃないか? だったらユーグリッドだ!」
「協力感謝する。その場から動くなよ、バグは俺が始末する」
 
 腕時計型の端末に向かい、青年は現状を伝達する。するとすぐに人類の救助と保護を優先と指示が送られた。
 狼――バグは残り二匹。散らばった木の枝や釘を気に留めず、一気に畳みかけようとした矢先。
 
「うわぁあああ!?」
 
 男達の車へ急速に近付くバグがいた。形状は牛であり、角が歯車を埋め込んだ水晶だった。
 狼に背を向け、男達を守ろうと走り出す。しかし牛の時速が百キロを超えていた。抑えて止められる速度ではなく、男達が殺される方が早い。
 顔より下の全てを炎へと変え、噴射速度を利用する、それでも足りないと、目を細めた時だった。
 
 ――ジリリリリリリリリリリ――
 
 自然溢れる森には似合わない音が響いた。それはとても象徴的で、特定の道具が頭に浮かぶほどだ。
 牛と男達の距離があと三メートル。直線的な光の奔流が一瞬で牛を呑み込み、歯車と水晶の欠片が宙を舞った。
 青年が男たちの元に駆け寄った時には、牛の痕跡は残っていなかった。むしろ光の攻撃さえも、最初からなかったように周囲に被害が見当たらない。
 
「これは……時計の音?」
 
 近くに誰か潜んでいるのかと警戒する青年の目前で、残っていた狼二匹が光の中に消えた。
 真上からの攻撃。青年が顔を上げれば、木々の隙間に茶色い毛皮らしきものが見えた。そして錆びた黄金の銃口。
 鳴り響いていた時計の音が止むと、それは姿を消した。わずかに捉えられたのは、それが人影だったということだけ。
 
「近くに保護用のテントを設置している。そこまでの護衛を請け負う。ついてきてくれ」
「あ、ああ。ありがとう。あんた、名前は?」
「コードFだ」
 
 それは名前なのか。聞き慣れない名前に、男は少しだけ怪しんだ。
 しかし狼達から助けてくれたのは事実。戸惑いながらも、男の一人が前に出る。
 
「でもよ、怪我人がいる……どうにかできないか?」
 
 スコップを手にしたままの男は、片腕から血を流し続ける男へ視線を向ける。
 流血のせいで肌から正気が失われつつある。意識は朦朧としており、到底歩ける様子ではない。
 運転手の男が声をかけ続けているが、頷く反応さえ微弱なものになり始めていた。
 
「……わかった。三人とも、車に乗り続けていろ」
「へ?」
 
 間抜けな声もお構いなしに、青年は車の下に手を差し入れる。そのまま米俵を持ち上げるように担ぐ。
 あまりにも予想外の力に驚く暇もなく、男達の目の前で青年は体を炎に変える。
 自らを噴射装置に見立て、空に向かって飛び立つ。森の上空から見渡した景色は、どこまでも広がる巨大な森と草原。
 
 あまりにも広く、地平線の曲線すら覚束ない大きな世界だった。

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