• 異世界ファンタジー
  • 現代ファンタジー

SS61

今回の公開内容

スチーム×マギカ「通常運転」



「足が滑りましたわ!」
「なんのぉっ!」
 
 少女から繰り出された剛速の蹴りを回避し、アルトは屈んだ姿勢のまま距離を取る。
 いつものようにからかったが、本日は少女の機嫌が悪かったらしい。
 へらへらと軽薄な笑みを浮かべるものの、鼓動はとんでもない轟音を鳴らしている。
 
「この野蛮猿がぁ……」
 
 霧が立ち込めるロンダニアの街。
 呼吸すら冷たさを覚えるような場所で、少女が言葉混じりに吐き出した息は熱かった。
 温度差で白くなった吐息は、すぐには霧に溶けなかった。
 
「まあまあ、姫さん……今日はこれから依頼を受けにいくんだろ? 落ち着こうぜ。ビークールにだな……」
「貴方を一発殴ってからでも遅くありませんわ」
 
 早めに出発したのが間違いだった。
 そんな阿呆な考えに捉われながらも、アルトは打開策を頭に並べていく。
 一番手っ取り早いのは彼女が躊躇するような美形を用意することだ。
 身近な例だと美麗双子の弟――チドリだ。
 しかしそれはアルトが面白くなかった。
 
 ならもっと逆上させ、警察に止めてもらうか。
 だが約束の時間は待ってくれない。今日の依頼は報酬が破格なのだ。
 執事のヤシロからは「依頼を受けなかったら家に入れない」とまで言われている。
 
 次に考えついたのは素直に謝ることだが、それができたら苦労はいらない。
 なにより真面目に受け取ってもらえない可能性が高い。
 いよいよ八方塞がりになってきたアルトの前で、少女が準備運動かのように手を鳴らしている。
 
「今日こそ年貢の納め時ではなくて?」
「いや、姫さん……それは違う」
 
 真面目な表情と声音。普段とは違う真剣さ。
 それらを滲ませたアルトを前に、少女が戸惑いを見せた。
 その隙を狙い、核心つく一言を食らわせる。
 
「腹減ってんだろ? 胃袋に食べ物を納め時なんじゃね」
 
 しくじった。つい、普段の悪癖がにっこり顔で出てしまった。
 少女の怒りのボルテージが爆上がりし、周囲の霧が逃げ惑うように動く。
 細身の体から放たれる熱気は幻覚ではなく、これから起きることの前触れだ。
 
「ゆらゆらとゆらり――」
 
 腰に固定していた杖刀の留め具を外し、手に握る少女。
 そして石畳を破壊して現れた巨竜が「あーまたかー」と呆れたような目で見下ろしてくる。
 アルトは既に逃走を始めており、周囲の喧騒をかき分けて進む。
 
 そして今日も賑やかで傍迷惑な騒動が始まる。
 遅刻した二人を、依頼者は苦笑いで眺めるのだった。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する