9歳の私を近代文学沼に引きずり込んだ作品。
地獄とは、このように描写されるものなのか、と生意気にも思ったものです。
作者の芸術至上主義等は知らず読んだ私には、これが良秀が救われる話に思えました。
当時はそう思った理由を自分で言語化できませんでしたが、後に八苦を知った時、結び付いた覚えがあります。
愛別離苦は娘。
怨憎会苦は大殿。
求不得苦は絵。
猿にこめられた人間性が焼けた時、良秀はこの三つを超え、人の境地を超えた様に思えます。ですから、死は五陰盛苦を超えるかに見えるのです。私には。
それに対し、大殿は超えることができない人間。
ですから、これは大殿にとっての地獄だ、と思ったのでした。地獄へ呼ばれていた良秀は娘を通し、そこから救われている様に今でも私には思えます(昨日今日と読み返して)。
でも、検索したらWEB辞典等に「芸術至上主義の悲劇」と書いてあるのですよね。
あれは悲劇なのか……私、相当、感覚が変わっているのかもしれません😅
あぁ、でも、本当に何度読んでも良いですわ。読んだ方も読まれていない方も是非。
https://kakuyomu.jp/works/16817330652419948316最近もSNSで「経験したものしか書(描)けない」「いや、書(描)ける」といった話題で盛り上がるのを拝見しました。
良秀は今の時代、芸術だけでなく科学の面でも重要テーマになる存在でしょう。
凄いなぁ、芥川龍之介。これ書いたの20代ですよ……時代が違うとはいえ(溜息)
カクヨム近代文学館の『地獄変』にレビューを書こうとしたのですが、余りにも感情移入し過ぎていて恥ずかしいので、近況ノートに😋