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自分の持てる武器で

こんにちは。

自分は聴覚障害者で、人の声は聞こえないし電話もできません。口話や読唇はできますが、100%とはいきません。

なので基本的に初めて会う人とは筆談になります。

筆談をしていると、相手の人となりというものが察せられます。

どんな態度で書いているか(イライラしてないか、迷惑に思ってないかなど)、
文字はきれいどうか、
言葉遣いは丁寧か、
「ですます」を省略していないかなど……。

筆談をしてみて「あ、この人いい人だ」となんとなくわかる時もあるんですね。



さて、ちょっと長くなりましたが本題です。

小説や日記やブログを書く、本や人の書いた小説を読む、あるいはSNSで人の投稿やニュースを読んだり。

こうしてみると世の中には色んな言葉であふれ返っている。

そして、自分たちは毎日のように言葉のシャワーを浴びている。プラスの言葉もマイナスの言葉もひっくるめて。

自分は聴覚障害者で、声ではなく文字という形で様々なことを発信できています。
まだまだ未熟ですけど、それでも人からコメントもらったりイイネしてもらえたりしてくれると、やっぱり嬉しくなる。

文章を書く上では他の人(健常者)とそう変わらないなと実感しています。だから物書きになろうとした……というわけではないんですが、ちょっとその要素も入っています。

ただし。

「聴覚障害者」という肩書を抜きにすることで、自分は他の人と真っ向から戦わないといけないのですね。

それは文章力であるとか、語彙力であるとか、構成力など。

障害があるとかないとか関係なく、本当に自らの力で戦わないといけない。

そこがしんどくもあり、だからこそやりがいもある。

自分の持っている武器で戦うことができる、
自分よりも優れた人が大勢いる戦場に乗り込める、
自分をさらに高めることができる、

そんな喜びを常々感じています。



カクヨムで人の書いた作品を読むと、自分にはない発想に驚かされます。

まだまだ読み進められていないところもありますが、それでもぐいぐいと惹きつけられる「何か」がある。

それはキャラクターの魅力だったり、あるいは自然なストーリーの流れだったり。

人の作品を通して自分には足りないものなどを見返して、どうすればより優れた作品を書き出せるか考えているところです。



今は「マスカ・レイド」と「僕の担当しているアイドルは病んでいる。」を中心に執筆しているので、これらの作品を通してさらなるステップアップに励みます。


やったるでー。

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