昭和18年、東京帝大医学部へ入学。
昭和20年3月10日、大空襲で1560年へタイムスリップ。
1560年、浅草浅草寺の門前で診療を行なう。
1561年、北条家江戸城代太田康資(お梶の父)の庇護を受ける。
1562年、太田康資は同族の太田資正を通じ上杉陣営へ寝返る。同年10月、太田康資は岩槻城主太田資正のもとへ逃亡。
1564年、第2次国府台合戦発生。里見と太田の連合軍は北条に敗れ、里見の庇護下へ。未来人徳本は信州の薬行商人から誘われ江戸を離れ、諏訪へ向かう。そこで、本物の永田徳本と知り合い、活動へ協力する。さらに、高遠城主諏訪勝頼(後の武田勝頼)の招きで、高遠にて診療活動。また、諏訪勝頼が武田家の家督相続すると一緒に甲府入り。
1580年、本物の徳本他界。未来人徳本が永田徳本の名を継承。
1582年、織田の侵攻で武田家滅亡。未来人徳本は松姫たちと八王子へ逃亡。本能寺の変後、八王子へ来た丹羽長秀から松姫たちの身柄を保護され、後に甲府へ戻る。
1586年以降、徳川家康の招きで駿府へ移住。当地で五徳の娘2人を診る。さらに、東海地方や関東を周遊し、各地で診療。その際、松姫、お梶、嶋子なども診療。
1596年、駿府を出て上方へ向かう。
1597年、大坂で幸田広之と対面。