本能寺の変といえば信長の首。
しかし、この場合それほど重要かな、と。
仮に手に入り、晒し首とした場合ですが、
よりによって主君。
そのへんの罪人と違います。
足利将軍家の家臣であり、
主君は義昭だとかいう理屈立てても
通用する可能性は薄いと思います。
①光秀へ知行宛行しているのは明らかに信長
②信長が朝敵になったわけでもない
つまり光秀には全く大義名分がありません。
どこまでいっても単なる私的な謀反です。
恐らく光秀の目算としては将軍足利義輝が、
三好勢に殺された永禄の変を念頭に入れてたはず。
ましてや信長は将軍でもありません。
単なる私闘扱いで朝廷からお咎め無しの上、
内裏工作すれば何とかなると考えても疑問はないはず。
しかも、自身・縁者・与力は公家との関係も深い。
信長上洛までの狂ったのような畿内の混乱。
それらを考えれば多少の無法も通るし、
やったもん勝ちと考えてもよさそう。
で、信長の首ですが下手に晒したら、
取り繕っても自身を謀反人としてアピールする行為。
実は生きている!と噂を流される事を懸念するなら、
いきなり主君を襲って問答無用で殺さない印象。
荒木、別所、波多野、松永と畿内の武将は
謀反を繰り返しており、長年の混乱した畿内で、
感覚が麻痺していたのかも知れません。
要は節操がない。
個人的には、その系譜に光秀が居るとしか思えません。
首については僧侶が遺骸を運び出して埋めたとかいう
話もありますけど、情報としての精度に欠けます。
秀頼の子が天草四郎とか義経=成吉思汗説並の印象。
あと本能寺境内に信長の屋敷がありました。
焼け落ちるにしても、瓦礫の量がそうとうなはず。
私の勉強不足かも知れませんが、指摘されてるのを
見たことがありません。
それを前にして、信長の首を探そうとしたか疑問です。
そもそも義輝や秀頼にしても焼け跡を掘り起こし、
特定した首を晒したという話は聞きません。
仮に掘り起こして特定しても傍目には信長か
わからないレベルだと思われます。
それだと、振り出しに戻りますが、
実は信長でなく、逃げ延びた説はどのみち出ます。
首が重要なのは謀反人、戦場での大将首とかであり、
首ならいいってもんではないかな、と。
以上、個人の見解でした。