モノモタパ王とケープタウンで会談している作品ありますが、およそ現実的とは言い難いです。恐らくポルトガルによって拡張されたジンバブエ、ボツワナ、モザンビーク、ナミビア、南アフリカを支配する大帝国かのごとく喧伝された怪しい地図がWikipediaにも掲載されており、勘違いした結果だと思われます。
実際にはザンベジ川流域が支配圏であり、本拠地もグレートジンバブエのある方面の高原地帯と推定されています。本来は高原で牧畜している部族がカラハリ砂漠を踏破し、直線距離で1500km…。福岡県と青森県くらいあり、ケープタウンに居ると聞いてぶらっと来れる距離ではありません。
ケープタウンから伝令が王都へ走り、モノモタパ王も急ぎ駆けつけたとして2ヶ月は掛かります(日に50km計算。モノモタパ王がイカンガー並の驚異的脚力で日に200kmくらい走った可能性があれば話は別ですが)。モノモタパ王国の支配してない地域であり、完全な外国というか敵地。来るまでの間、壊滅している可能性大。そもそもモノモタパ王国は絶対王権ではなく複数の部族などによる連合国家です。
大体、ポルトガルにとってスワヒリ語圏からモノモタパ王国の版図は金や象牙の大事な仕入れ先であり、ペルシャ湾や紅海を閉鎖してインド洋交易の独占せんとしていたポルトガルやスワヒリ商人と対立せず、平和裏に拠点を設けてモノモタパ王国と交渉するとかまず無理なはず。ちなみに16世紀後半の時点でポルトガルはモノモタパ王国に目をつけて、そうとう侵食してます。
当時、欧州は宗教戦争真っ只中ですが、宗教には極力触れず…。また、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への侵略的な布教、奴隷貿易とかにもほとんど触れずポルトガル王が洗脳されてるレベルで好意的…。
ちなみにポルトガル王セバスティアン1世はフェリペ2世の甥。当時、カトリックの総本山はハプスブルク家とメディチ家の強い影響下に置かれており、仮にセバスティアン1世が日本と結びフェリペ2世と対峙するとして、イエズス会とローマが黙ってるはずもありません。
つまりはポルトガルの商船がジブラルタル海峡を渡れなくなります。また、ポルトガルと結んでる限り、フランス、イングランド、オランダとも通航は困難。
イスパニア、イタリア、神聖ローマ帝国、フランス、オランダ、イングランド、さらにはトルコをみんな敵に回すのは必死。ちなみにフランスはトルコの友好国です。
当時、ポルトガルは宗教と通商を一体化させアフリカやインドでやりたい放題しつつ、異端審問を行っています。オスマン朝トルコは比較的宗教には寛容で、フランスもローマの教皇庁と完全には対立せず、カトリックとユグノーの宥和を図るなどイスパニアやポルトガルに比べたらはるかまし。恐らく、そういう当時の概略を把握してないか、無視なんでしょうね。
批判ではありませんが、ケープタウンへ突如現れたモノモタパ王など、100%あり得ないような勘違いのたぐいは僭越ながら指摘しておきます。朝鮮王がいきなり江戸に現れるようなもの。