みなさま、お久しぶりです。
最近、仕事の方が忙しいのと、新作のプロット作り、創作論の構想練りに集中していてなかなか近況ノートを書けていませんでした。
そして本題。
タイトル通りではありますが、今回は非表示にする予定の『司書シェリア』について語ってみようと思います。
創作論を作りたいと前回お話しましたが、それ関係ですね。
どんな考えで作ったのか?
どういう工夫をしたのか?
役に立つかは分かりませんが、誰かの役に立てたらなぁ……という思いで、書いてみようかと。
練習にもなりますしね。
では、さっそく参りましょう!
簡単に説明しますと、『司書シェリア』についてですが、設定とプロットとして王道ファンタジーを想定しておりました。
私自身王道ファンタジーが大好きですし、王道ファンタジーが書きたくてカクヨムを始めたまでもあります……今の代表作がラブコメですけど(笑)
なにせ、初めて読んだライトノベルが古本屋でたまたま手に取った雨木シュウスケ先生の『鋼殻のレギオス』ですからね。それから細音啓先生の『氷結境界のエデン』と、ファンタジー好きが始まったわけです。
……と、脱線してしまいましたが、私が作りたいお話は重厚な設定と広大な世界観があるファンタジーというわけですね。
初作は書こうとして大失敗し、ラブコメや短編を経て『司書シェリア』があります。
現在、カクヨムは長文タイトルやコメディ色の強いファンタジーが多いですよね(個人の見解です)
ですので、私の作ったお話が誰かの参考になればと思ってこうして書いてみようと思いました。
とはいえ、前回の近況ノートで書きましたが『司書シェリア』をベースに長編を書き直すつもりですので、深いところまでは書けません(汗)
あくまでも表面上のみ……物語の根幹についてはお話できませんが、どんな作り方をしたかでもお話出来たら参考になるのではないかと。
まず、『司書シェリアは世界に飛び立つ』というタイトルですが、これ自体ある程度Web小説の形に寄せております。
タイトルの段階で物語の内容が分かりやすいように……そう考えてこのタイトルをつけました。
本当はもっと別のタイトルがあったのですが、これはちょっと秘密です(笑)
では、お話について。
『司書シェリア』のお話の題材について話しましょうか。
読んでくれた方の中では察しのついた方がいたかもしれませんが、『司書シェリア』の元ネタは旧約聖書の『生命の樹』です。
主人公シェリアの固有魔法『第二書架《コクマ・ライブラ》』も、生命の樹の第二のセフィラ——コクマーとなります。
コクマ―の守護天使はラツィエルで、『秘密の領域と至高の神秘の天使』の称号を持つ七大天使の一人です。
シェリアの能力である無数の書架と無数の本が浮かぶ空間も、ラツィエルの称号から着想を得ました。
元々あるお話などから着想を得る……つまり元ネタがあるお話は色々とあります。
ライトノベルの人気作で例えると、大森藤ノ先生の『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』や、鼠色猫/長月達平先生の『Re:ゼロから始める異世界生活』なんかがそうですよね。
いちおう知らない方に説明するのであれば、『ダンまち』は北欧神話。『Re:ゼロ』は星を元ネタとして物語を展開しております。
他にもあるとは思いますが、私はこの二作が特に印象的でしたので例に上げさせていただきました。
元ネタの名前を物語に出すのはよくありますよね。
能力だったり、名前だけだったり……ですが、前述した二作はそんなお話とは少し変わっています。
というのも、元ネタ自体が物語に深く密接しているのです。
詳しくはネタバレになってしまいそうなので省略しますが、そのせいか、二作は考察も活発ですよね。
気になる方はYoutubeなどで調べてみてください。名前を使うだけではないということがどんなことか分かるはずです。
『司書シェリア』も、その二作のように物語の構成に『生命の樹』が関わってくるように練りました。
当然、物語の登場人物の名前なんかも、その関りから名付けております。
ヒロイン? というか、相棒役であるアインや、その従者のオウルもなんとなく分かりますかね?
これは無限光『アイン・ソフ・オウル』から名付けています。ちょっと直接的ですよね。
ですが、これは従者と主という繋がりだけで一つのネタから名前を取っているわけじゃありません。
今後の物語に繋がる、違った繋がりがもちろんあります。
ちなみに、作中に出てくる魔法名のほとんどがラテン語のもじりです。
主人公であるシェリアの名前も、知識を意味するラテン語……scientiaを変形させて名付けました。
名前には意味がある……登場キャラクターのセシルやアリサですら、名前ではないですが姓の方に意味を持たせております。
あらゆる名前に意味を持たせ、ストーリーに組み込む……こういうことを『司書シェリア』ではやっておりました。
なんていうんでしょうか? コメディのような直接的な面白さではなく、物語の奥行きを感じさせるような間接的な面白さ。それを『司書シェリア』では意識して書いておりました。
一つ一つの設定の深さだったり、見えない部分の大きさが垣間見えた時、読者は物語の奥深さを感じるのではないかと思っております。
まあ、これは王道ファンタジーの特権ではないんですけどね(笑)
コメディ色が強くても設定は深くできますし、見えない部分の大きさがファンタジーの醍醐味ではないのかと思っている次第です。
さて、他にも色々とあるのですが、これ以上は長くなってしまいますし(もうすでに長いですしね)、ネタバレが過ぎてしまうのでここまでにしましょうか。
というわけで、今回は趣向を変えてこんなお話を書かせていただきました。
もし参考になったという方がいたら幸いです。
以上、創作論の練習として『司書シェリア』について何となく話す という話でした。