昨日はお昼に後輩の子の1人がお誕生日だったので、そのお祝いの食事会。
そして、夜は叔母様の誕生日だったので、そちらのお祝いとおめでたい事のダブルヘッダーでした!
で、今回はそのお祝いもあったけど、今回私の潰瘍性大腸炎の件で後輩の子たちには仕事のフォロー……特に内視鏡検査前後は体調がかなり悪くて心配もかけたし(汗)
で、叔母様や弟にもかなり心配をかけてしまって……
後輩の子達も叔母様や弟も完全に大腸がんだと思ってたようで、普段から
「涙は抑えきれない衝動で出るもの。意図的に武器にした瞬間、それは麻薬のように己を腐らせる。軽々しく涙を見せず凛としていなさい。涙ではなく己を保つ意思こそが最後は武器になります」
と言ってた叔母様が「良かった」と一言言って電話口で大泣き……始めてみた、泣いてるの。
弟もポツリと「また、(小説を)書けるな」と。
なので、大切な人たちへのささやか過ぎるけど、お礼としてガトーショコラのケーキを焼いて、振舞わせて頂きました。
まあ、市販品のが絶対美味しいと思うんだけど(汗)
で、一人ひとりに手書きでお礼の手紙を……
小説より頭使った(汗)
で、話し変わって色々と考えていき、改めて小説へのスタンスも見つめなおせました。
やっぱり綺麗ごとかもだけど「考えて、書くことが好き」と言う気持ちが自分にとって、何が無くなっても最後に残る気持ちだと感じました。
叔母様と二人になったとき、いつものように対面で正座しながら言われた事で
「薫ちゃん。私も日舞の時に経験あるけど『好きになるほど極めたい。極めたくなるほど評価されたい。評価されたくなるほど、他人を見る。他人を見るほど自分が見えなくなる』人には人の大切なものがある。それを自分のエゴで書き換える権利は誰にも無い。それに他人はあなたの人生を歩めないでしょ? 仕事でも小説でも己を見なさい。己が何を求めているのか。色々無くなっても最後に一つ残るものは何か。見るべきはそこです。最後に残ったものに沿っていればそれが正しい。曲がってようが真っ直ぐであろうが、薫ちゃんの正しい道です」
「後、正反対かもだけど、辛いときほど他人に目を配り大切にしなさい。人は自分が辛いときほど『他人も意思があり、喜びも怒りも感じる人間』と言うのを忘れます。そこから他人を雑に扱う。そうなると、心があっさり真夜中のように暗く染まるから。あなたは来年も体調の事もあり、大変だと思うので……」
と。
有難うございます……ありがたくて泣いちゃった。
で、私にとって小説の「最後の一つ」はやっぱり「書くことを好きでいよう」です。
自分の中の湧き上がる物。
形にしたくて仕方ないもの。
それを形に出来て、それがこの国の誰かが見てくれて、顔も声も知らないその「誰か」が、自分の形にしたものを好きになってくれる。
そんな物凄い事が出来る環境に居られるだけで、有り難いことだしそれをかみ締めつつ、来年も創作をただ好きでいよう。
書く事はシンプルに楽しい。
それを忘れずに大切に出来たら……と言うことを考えました。