こちらのおまけコーナーは、資料紹介、過去作(笑)公開、と続いてきました。
年末ですし、たまには創作者らしい「次作の構想」とかどうでしょうか←ほんとかな
今ですね。なんとなく、テーマ「昭和」でいくつか書きたいものがありまして。
ひとつは昭和8年あたりで『風琴ねずみと夜の電車』につながる、宮沢賢治とそのゆかいな仲間たち。石川善助と尾形亀之助が登場予定です。
もうひとつが昭和30年あたりの、エレキブームまわりの話です。
先日、こちらで寺内タケシの思い出を書きました。あのライブは結構今思い返しても唖然とします。
●389 そんな話を蒸し返してどうする。
綴りかた日記/倉沢トモエ - カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/16816452221508425967/episodes/16817330666464729630寺内タケシ、エレキのレジェンドのはずなのに、この自分の体験もですがほかの逸話もおかしすぎて長年どう捉えればいいのか謎でした。
体験といえば私が高校生のとき、寺内タケシはオールナイトニッポンをやってたんですが。
ほとんど若手ミュージシャンにコーナーをまかせっきりで、自分はあんまり出てなかったです。
若手にそうして機会を与えるのは面倒見がいいということなのかなあ。まずそこから謎でした。
エレキは不良、の時代に各地の中学校を回って演奏して、クラシックから歌謡曲、民謡までなんでもエレキにアレンジして、どれも素晴らしい演奏なんですけど、寺内タケシのバンドメンバーは鉄下駄を履かされ体力づくりをさせられたとか。なんで鉄下駄。
もうよくわかりません。
詳しい人に聞くと、エレキギターが日本に入ってきたころ、ミュージシャンたちにはハードな弦しか知られておらず、それでどうしてあんなに軽やかに弾けるのか悩ましく思われていたそうです。
そこで何でか「身体を鍛える」方向に向かってしまったようなのです。
しかしその後ベンチャーズが来日して「柔らかい弦もある」ことを知ることができ、日本のエレキ界は変わったのでした。スポ根させられたのはなんだったのでしょう。
一昨年亡くなったとき「ギターマガジン」で寺内タケシ特集が組まれたんですけど(2021年9月号)。
再録されたインタビューや記事を読むと、
「ギターは弾かなきゃ音が出ない。能書き言わずにやるしかねえ。」
など、よくわかるようなわからないような名言が飛び出たかと思えば、
少年時代の寺内タケシが自作ギターを空襲警報用のスピーカーにつなぎ、鳴らしたところ、近所の住民があわてて防空壕に避難した、等々どう考えても盛ってる話が続々出てきて、やっぱりわかりません。
そんなレジェンドを追いかけて、私は何を書こうとしているのでしょうか。
エレキブームで若者たちがわちゃわちゃする話、とだけ漠然と決めています。
で、寺内タケシ本人は登場しない予定ではあるのですが、このスポ根要素をどうにか登場するキャラクターに生かせないかと考えているところです。
相変わらずカクヨム向きではないかもしれませんが、なんだか昭和の変な話を書こうとしていますので、と、お伝えする今年最後のおまけコーナーでした。
今年もサポーター様にはお世話になりました。ありがとうございました。
よい年末年始をお過ごしください。