• 異世界ファンタジー

戯文〜アネットのボムレシピ〜


 ノートメアシュトラーセ帝国 城内 サロンにて



「アネット様お聞きになりまして?」

「あらやだ。貴方、アネット様に下々の事などお耳に入りませんわ。アネット様!いま学院内で…」


 私は、帝国の誉高き盾の騎士、ランガルト・カルテンボルン=グラキエグレイペウス公爵が息女、アネット・グラキエグレイペウス。

 10になった年、皇太子殿下の婚約者となった私は、女主人が不在だった我が家に、女主人の仕事とマナーを学ばないかと皇后様からのご助言があり、行儀見習いの為にノートメアシュトラーセ城に通いはじめました。
 今日は歳が近い貴族家息女と、お茶会のマナーを学ぶ為、お茶会に参加をしています。

 私がいるノートメアシュトラーセ帝国は魔法が盛んで、魔力がある者は男女の区別なく、そして貴賎なしに魔法学院に通えますが、魔力のない私は、我が家で雇ったガヴァネスに学問を教わりながら生活をしてきました。
 同世代の方と気兼ね無くお話するのも、このお城に行儀見習いに来てからはじめての事でした。
 皇城も、我が家も、普段この様に姦しく話す方は居ないので、何もかも新鮮です。

 どうやら学院内では、庶民を中心に女性が異性に菓子を作って差し上げるのが流行っているそうです。

「アネット様も皇太子殿下にお渡ししてみるのは如何かしら?」

「そうですわ!きっとお喜びになりますわ!」

「そうですね。機会がありましたら作ってみたいと思います」

 いくら婚約者とはいえ、素人が作った物など皇族の口に入ることはない。殿下に直接お渡ししても、毒味に下げられ、皇太子殿下まで行く間に、お付きの方がゴミとして処理をするであろう。

 場を白けさせるのも悪いと思い、可もなく不可もない曖昧な答えで返す。

 話題は異性への手作り菓子から、気になる異性へ移った。彼女たちの話題は尽きることがない。
 私は、その事について話すことは立場上出来ないので聞き手となったが、楽しそうで少し羨ましくもあった。

(手作り菓子…)

 お父様やお世話になっている屋敷の方に差し上げてみたい…そんな事を思いながら帰宅した。

 その日の翌朝、眠りと起床の狭間に特殊スキル【クロトー】が発動する。

「キャーーーーー!」

「お嬢様!どうかされましたか?!」

 不寝番の乳母が慌てて来てくれた。

「お父様に…いいえ…大丈夫。大事無いわ。こんな朝早くからごめんなさい…」

「いいえ、お嬢様…旦那様に言わなくて本当に大丈夫なのですね?」

「…ええ。大丈夫」

 私が見たクロトーは、日付もまさに緑の月、20日目の今日の事だった。



「…アン。今朝ほど悲鳴を上げて起きたとか。大事ないか?」

「乳母やですのね、彼女は心配性なのです。大事ありません」

「そうか。ならば良いが…」

「ところでお父様」

「なんだ?」

「本日、調理場をお借りしても宜しいでしょうか?小さな方の調理場をお借りしたいのです」

「それは構わないが…何をするのだ?」

 そう言うとお父様は、背後に使える執事に目で合図する。執事は一礼をして下がっていった。
 調理長に聞きにいってくれたのであろう。

「実は昨日のお茶会で…」

 お父様に、お茶会で子女達が話していた学院の流行をお伝えした。

「成程。アンもそれを聞いて菓子を作ってみたいと?」

「はい」

「わかった。調理長に言っておこう」

 和やかな朝食は終わり、お父様は執務室で仕事を始めた。

 私は汚れても良い服を着させられ、メインキッチンではない、小さな調理場へと向かう。
 小さなとはいえ一通りのものは揃っている。

 菓子専門の調理人に挨拶をされ、早速菓子作りを開始します。今日はクッキーを作るとの事だ。


「お嬢様、こちらのバターと砂糖をお混ぜ下さい」

「わかったわ」

 渡されたヘラで、グニグニぺたぺたとバターと砂糖を力の限り混ぜる。割と固いのです。砂糖がくっついたバターが飛んでしまいましたが…まぁ大丈夫でしょう。

 調理人を見ると私付きの侍女を見ていた。侍女が調理人に深く頷いている。
 お茶会でご令嬢が言っていた、目と目が合った瞬間の恋という奴かしら?
 職場内結婚は、結婚後も共に働けて良い事だわ。

「お嬢様、此方の卵黄をお入れします。そのままお混ぜください」

「はい」

 私は言われた通りに、用意された我が家で飼育している新鮮なコッコの卵黄がいれられ、そのままひたすら混ぜる。

(…分離して…うまく混ざりませんわね)

 バチンバチンとヘラと容器が当たる度、液状化した卵黄があたりに飛び散る。菓子作りとはこの様に汚れるものなのか。日々料理人達が、調理場を綺麗に扱っているのは大変そうだ。

(浄化使いの方をお雇いになられては、とお父様に進言しよう…)

 調理人はまた私付きの侍女を見ている。侍女は大きく頷いていた。
 それとなくこの後、お二人に時間を設けるのも良いかもしれない。

 少しバターが分離してますが、だいぶ混ざりました。少々少ない気もしますが大丈夫でしょう。

「…では此方のふるった粉類を私がお入れいたしますので、そのままゆっくりとお混ぜ下さい」

「わかったわ」

 ゆっくりと…。ヘラが容器に張り付いた硬いバターに引っかかって、そのまま粉を飛び散らせながら飛んでいきました。

「あ…」

 調理人は慌てて新しいヘラを用意し、私に手渡します。
 私は新しいヘラを受け取りそのまま混ぜました。だいぶ粉塵がたちましたが、うまく混ざったと思います。

「ではお嬢様、混ざったものを此方にお出しして円柱状に形を作って下さい」

「わかったわ」

 ツルツルとした石板の上に容器を逆さにして、中身の生地をボトリと出します。
 ちょっとバターが混ざってない所が気になって、グニグニと捏ねながら、言われた様に円柱状に形作ります。

「出来ましたわ」

 調理人が氷の魔法で生地を冷やし、粒子が少し大きい砂糖を周りに付けていきます。小さなクリスタルみたいでとても綺麗です。

 その後、ナイフを持つのは危ないと、調理人が私が作った生地を、適度な厚さに切っていくのを眺めながら、天板に調理人が切った生地を並べていった。

(初めてにしては、良い感じに作れているのではないでしょうか?ちょっと面白いですわ…)

 私は、無から有を生み出す事の楽しさを覚えました。少し生地が少なくなってしまったので調理人が急遽、新しく生地を仕込んで同じ様に天板に生地を並べてオーブンへ入れます。

(このお粉が入った容器はどうするのかしら?)

 私は気になった粉の容器を調理人に見せようと天火(オーブン)に火入れしようとする調理人に駆け寄りましたが躓いて転んでしまいました。

 あたり一面に粉が舞います。私が転んだ事に気づいた侍女が、私に駆け寄るのが見えましたが、その後の記憶はありません。


 _______________

 目覚めると横にはお父様がいらっしいました。

「…お父様」

「アン。目覚めたか…良かった…其方まで失ったら私は…」

 どうやら私は、調理人が火をつける寸前に粉をばら撒いて、調理場を粉塵爆発させてしまった様です。
 朝【クロトー】で見たのは、屋敷の一部が爆発する所で、爆発の場所を調べる為、私はそれらしく理由を作りましたが…
原因が私とは…もっとうまくスキルを使いこなさねばなりません。

「お父様…申し訳ありません。ご心配をおかけ致しました。侍女と調理人は…」

「無事だ。アンが付けていた守護と災厄除が発動した」

「良かった…お父様、2人に咎はありませんので…」

「わかっている」

 せっかく出会えた2人を路頭に迷わせる事はしたくないですもの。

 一月程修理に時を要しましたが、すっかり屋敷は元通りになりました。

 その後、菓子作りに夢中になった私は、何度かお父様にご試食をお願いする事になりますが、それはまた別のお話です。

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