最近NetFlixで「百年の孤独」というドラマを観ていた。ノーベル文学賞を取ったガルシア・マルケスが原作のドラマだ。
これが本当に面白かった。夢中で見てしまった。そして、物語は自由なのだ、と改めて実感した。
この物語には、人間の生命のなかで起き得るあらゆるライフイベントが、さまざまな形、さまざまな感情、さまざまな葛藤を伴って描かれている。これがめちゃくちゃ面白い。
生命の際の際に追い込まれた人間の感情や行動に、その人格の価値観や観念がすべて現れる。だから、その一瞬に心を突き動かされる。
余談だが、「百年の孤独」の文庫本を半年くらい前に買った。しかし、全然読んでない。個人的に電子書籍に慣れ親しみ過ぎたのだ。紙の本はゴロゴロしながら読めないし、部屋が暗くても読めないからね。電子書籍も出して欲しい。
毎回言っているが、今回も書くのに時間を要した。自分の中で、いまいちキーを叩けなかった。
それはなぜか。
いつものキャラクター愛症候群である。
ハラサの過去をウプウアウトに聴かせたくなかった(ハラサ側に感情移入)
俺は苦しみのあまり、アサシンクリードオリジンズという古代エジプトを舞台にしたゲームをプレイし、シワやアレクサンドリアやメンフィスやギザを渡り歩き、悪人を誅し、民を救って回った。俺ほど狡猾なメジャイ(守護者)はいまい。以上は余談。
——ハラサはよき父である。ウプウアウトの面倒を見、愛し、育てた。ウプウアウトのためならば、命など捨てられる。父親の、強烈な愛情を、血の繋がらない息子に、抱いている。
そのハラサに辛い思いをさせるとわかっていて、書くのに時間がかかった。
だがしかし、対話の中で、ハラサが言った「息子よ、私を許すな」の一言で、すべてに踏ん切りがついた。ハラサは男である。自分の卑劣さを、すべて引き受けて、息子の命を救うのだ。
これで書けるようになった。
というわけでまた次回。