いつも拙作を御覧いただきましてありがとうございます。
タイトルにつきまして、本日、琵琶行(2)を公開しました。
お時間おありの時にお読みいただけますと嬉しいです。
それに合わせて、琵琶行(1)について、「琵琶行」を書籍引用するために修正しました。
古典の引用については、通常は自分で訳したものを用いており、琵琶行(1)でもそうしていたのですが、漢詩については自分の不足が多く、上手く伝えられていないと感じましたので、引用にすることにしました。
出典は本文文末に記しています。
さて、もう一点別件ですが。
7月以降に、更新を週2回に戻す予定でしたが、今しばらく今のままの週1回で行きたいと思います。
週1だと、ますます埋もれるのですが、またご覧いただけますと幸甚です。
事務連絡はこんなところです。
以下はお時間ある方、お読みいただけますとありがたいです。
「琵琶行」についてのあれこれです。
*蛇足について*
学生時代に漢詩の先生が口酸っぱく仰っていたのは、漢詩というのは中国語で読まないと意味がない、ということ。
意味がない、とはちょっと強い言葉ですが、日本人は書き下し文で読むので、漢詩で最も重要な韻は損なわれますし、日本語での漢字の読みもそれを助長してはいます。
学生時分は、中国人留学生の先輩によく中国語で聞かせてもらっていましたが、確かに納得する所ではありました。
というようなことが念頭にあったために、琵琶行(1)で、大陸渡りの商人に習った老女房から、外記が教わった、という流れを挿入しています。
本筋には全く関わりないのですが。
*外記は即興ですが*
外記が弾いていたのは即興なのですが、「琵琶行」の妓女はこの際の演奏で、最初に「霓裳羽衣(げいしょううい)」、ついで引用箇所では「緑腰(ろくよう)」を弾いています。
どちらも現在は伝わっていないそうです。
「霓裳羽衣」は玄宗皇帝が愛して、楊貴妃が得意とした舞曲で、そのために、皇帝の死後にこの曲を排斥する動きがあって、急速に失われたという説があります。
平安時代の日本に伝来していた可能性はあるとは思いますが、外記の創造性を出したかったので、強いて分からなくなっていることにしました。
*第九話にても*
第九話「爆弾発言」で、外記は、初めて伊勢と衛門の前で琵琶を弾いています。
この時、調弦した際に、
未だ曲調を成さざるに 先ず情有り(まだ曲になっていないが、既に情緒が立ち登っている)
と得意げなのですが、これも「琵琶行」からです。
*琵琶行(1)(2)の補足*
外記を琵琶が好きな女の子と決めた時から、この漢詩を取り入れようと考えていました。
本文中に引用しているのは、全て、琵琶を演奏している様子を表現した箇所です。
琵琶の名手の演奏に憧れた外記が、自分なりに想像し、なり切って弾いている、という構成にしたのですが、
そもそも当該の漢詩が、演奏の表現だと気づかない方がいらっしゃるかも、と思ってもいます。
であるならば、私の力不足なのですが、今後の課題ですね。
*諸説ある所*
琵琶の演奏の最後なのですが、書籍毎に解釈が違う所があります。
【曲終り 撥を收めて 心に当って画く
四絃の一声 裂帛の如し】
今回引用した岩波の書籍では、
「弾き終わりに撥を払う時に、全絃を鳴らした」
の意ですが、別のものでは、
「弾き終えて撥をしまい、指で全絃を弾いた」
とされるのもあります。
唐代以降、中国での琵琶は撥から指(付け爪)で弾く潮流になったそうで、唐代の風情が残るのが日本の楽琵琶だそうです。
そのあたりの兼ね合いがあって、ここの解釈にバラつきが出ているのかな、と思ったりもしています。
現代中国では琵琶弾きの感覚が違うだろうし、そこから更に日本でも感覚が違うだろうから……、というような?
わかりませんが、色々と無責任に解釈するのは楽しいです笑
「琵琶行(2)」では、当初、外記の動作を、自分語訳で「指弾き」を採用して書いていました。
ですが、岩波の書籍は「撥弾き」だったので、公開前に気づいて、慌てて直しました。余談ですが。
以上、長々と書いてしましました。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。