実はこんな感じ、というのが頭に残ってたので書いておくことにしました。φ( ̄▽ ̄;)
『ミネルヴァ』の本編、および『ガンダルヴァ』の後日談の両方を読んでないとよくわからないという誰トクSSですが、よろしければどうぞ。m(_ _)m
* * *
「ああ、小坂。忙しいところすまないね」
2019年8月10日、松岡建設本社ビル25階。いつものようにきっちりと頭を下げ中に入ってきた秘書室長の小坂明仁に、取締役専務の松岡浩司は機嫌良さそうな笑顔を向けた。
「何かございましたか?」
「虎太郎がね。予備校の年上の先生を好きになっちゃったらしいんだよね」
「……はぁ?」
てっきり今手掛けているY市のショッピングモールの件だと思っていた小坂は一瞬呆気に取られる。
「いやぁ、昨日ね。久々に虎太郎と食事をしたんだけど。大学生活はどうだ、と聞いたらそんなことを言い出してね」
「……はぁ……」
「それまで誰にでも適当に愛想よく、フラフラしてたんだが。いい加減なことしてたら嫌われるからちゃんとしないとって、柄にもなく頑張ってるらしいよ。いいよね、若い者は」
「……」
「とはいえ、仮にも虎太郎は松岡家の者だしね。一応、相手の女性の素性を調べておいてくれるか? まぁ虎太郎は人を見る目はあるから、大丈夫だとは思うんだが」
「かしこまりました」
「虎太郎には、好きな人と結婚してほしいしね。父や祖父の横槍が入る前に、わたしの方でどうにかしてやりたいから」
いえ、もう遅いです、専務。
……と内心思ったが、小坂は銀縁眼鏡のブリッジをくいっと押さえる仕草に留めた。
小坂は、浩司のかつての恋人の仁神谷多恵子、そしてその娘の莉子の身辺を長年にわたって調査していた。
今から約一年前。多恵子が交通事故で亡くなり、莉子は天涯孤独の身となった。
すると彼女は一か月も経たないうちに高校をやめ、掃除婦として働き始めた。頼る者もいない彼女は、悲しみに打ちひしがれる間すら自分に与えず、すぐさま自分一人で生きていく覚悟を決めたのだ。
ずっと母子を見守っていた小坂は会長――つまり、浩司の祖父に報告した。
遠い昔、浩司と多恵子を無理矢理別れさせた会長は、この事態を憂いた。
浩司は祖父の勧めた相手と結婚したがついに子宝には恵まれず、その妻も二年前に他界した。次の社長は浩司と決まっているが、浩司の後を任せられる人材となるとまだ判断が難しい状況だった。
苦労を知らない松岡家の人間より、よほど莉子の方が見所があるのではないか。
そのような状況になってしまったのなら、松岡家で引き取った方がいいのではないか……。
そんな話が会長と小坂の間で密かに進んでいた。そして、それならば松岡家に縁はあるが血の繋がりはない虎太郎と結婚させればいいのではないか、という話も会長から出ていたのだが。
「それじゃ、頼むよ」
「はい」
瑛風予備校の矢上清良、という情報だけを得て、小坂は役員室を後にした。
浩司は遠く離れたT県に自分の娘がいるとは知らない。
多恵子が浩司の前から姿を消したとき、仕事を放り出してそのT県まで探しに行った浩司だ。恋人が亡くなりその娘が独り残されていると知れば、自分の立場も鑑みず、周りのことなど一切考えず、またT県に走ったことだろう。父親と名乗り、自分の手元に引き取るために。
何の根回しもせずそんなことをされては松岡家としては困る、と考えた会長により、浩司にはその事実は伏せられていたのだが。
(会長にどう報告すればよいだろうか。ああ、頭が痛い……)
虎太郎と莉子の結婚――虎太郎はもとより、浩司も絶対に首を縦には振らないだろう。
かつて父親と祖父に言われるまま恋人を手放してしまった、その後悔を胸に刻みつけている彼ならば。
小坂は秘書室に戻ると
「今日はY市での打ち合わせの後、直帰します」
と秘書課の人間に告げ、すぐに本社ビルを出た。
その足で向かったのは、Y市ではなく都内にあるホテルのカフェ。スーツ姿の男性が小坂の姿を見つけ、手にしていたコーヒーカップをソーサーに戻し居住まいを正した。
「すまない、待たせたね」
やってきた店員に「ホットコーヒーを」と告げ、小坂がやや溜息を付きながら向かいに腰かける。
「いえ。……室長、お顔の色が優れないようですが」
「大丈夫だ、気にしないでくれ。それで? あちらの様子は?」
あちらとは、T県の仁神谷家のことだ。
小坂は自らもT県に足を運び多恵子とも顔を合わせていたが、そう頻繁に訪れることはできない。
日々の様子は自分の信頼できる部下に任せてあった。部下はふた月に一回程度はT県に訪れ、莉子の様子を小坂に知らせていた。
莉子が掃除婦をしているのも、それが単なる就職ではなく大学受験のためであることも、小坂はすでに承知していた。
「それが……ついに、接触しました」
「……ん?」
「この青年です」
テーブルの上に、二枚の写真が並べられる。
一枚目は莉子の中学での運動会の写真。端の方に背の高い眼鏡をかけた青年が写っている。
二枚目は高校での文化祭開会式の写真。壇上で生徒会執行部として座っている莉子が遠くに映っており、観客席の端の方に同じ青年が映っていた。
「確か、この生徒会長の兄だったな」
「そうです」
莉子の調査をしている際にこの青年を見かける機会が多々あり、一度この青年の身柄調査が行われた。
そしてこのときはただの偶然だろうという話になったのだが、その後この青年が莉子の働く光野予備校に就職を決めたことがわかり、事態は一変した。
T県は東京に比べれば予備校の数は少なく、彼が予備校講師を目指していたのであれば同じ就職先になるのもそうおかしなことではない。
しかしこの青年は医学科の学生であり、よくよく調べてみるとわざわざ内定が決まっていた製薬会社を蹴ってまで光野予備校に就職したことがわかったのだ。
「あの――これなんですが」
調査員が出してきた三枚目、四枚目の写真を見て、小坂の背筋に冷たいものが走る。
映っていたのは、夜のコンビニ駐車場での写真。青年が莉子を抱きしめている様子、そしてその後莉子に膝蹴りを食らってのけぞっているシーンだった。
「な……なんだ、これは!?」
「えーと……偶然居合わせたので、わたしも写真を撮るのに精いっぱいで、あまり詳しいことは……」
「……うぅん」
先ほどから感じていたこめかみの痛みがさらに刺し込むような鋭さを増して、小坂は珍しく表情を歪ませ、呻き声を上げてしまった。
* * *
という訳で、コミカルな裏ではめっちゃシリアスに大変だった小坂さん……というお話でした。
お粗末さまでした。m(_ _)m