――むかし、むかしの物語。
ここはスペードの王が治めるトランプの国。
その国では演劇や歌劇が活発で、民は王たちが提供してくれる娯楽を心から楽しみ、彼らを応援していました。
王が直々に指揮を執るスペードの家臣たちは劇の主役で、人気の高い花形です。
クローバーの一団は歌が上手く、ダイヤの集団はリアルタイムで国民たちと楽しみを共有することを得意としています。
そして、そんな彼らを裏から支えるハートスートの面々によって、トランプの国はいつも愉快な笑みが溢れていました。
ですが……ある日、そんなトランプの国が大きく揺れる大事件が起きてしまいます。
女好きで有名なスペードの王がハートの姫を気に入り、我が物にしようと権威を盾に彼女へと迫ったのです。
もしも自分が王の誘いを断れば、同じハート組の仲間だけでなく王国の民全員の笑顔を奪ってしまうかもしれない。
そう思い悩んだハートの姫の表情からはかわいらしかった無邪気な笑みが消え、彼女は板挟みの苦しみに耐え続けていました。
そんな姫の異変を感じ取ったのは、彼女の親友であり、共に夢を追う仲間であるハートの騎士でした。
偶然、王が姫を手籠めにしようとしていることを知った騎士は彼女を思い、一大決心を固めます。
王が彼女に手を出す前に、彼女がダメになってしまう前に……騎士は、姫を国外に逃がすことにしたのです。
姫を説得し、入念に手回しを行い、王の弱みを握って……計画は、順調に進んでいきました。
そして実行当日、ハートの姫を国境まで連れてきた騎士は、彼女を馬から降ろすとこう言います。
「ここでお別れだ。君は、他の場所で夢を追うといい」
寂しそうな表情で自分へとそう告げる騎士に対して、姫は自分と一緒に行こう、と返しました。
しかし、騎士は姫からの誘いに首を横に振ると、続けてこう言うのです。
「僕はこの国の騎士だ。王やこの国で生きる民たちのことを見捨てることなんてできない。僕は国を立て直すために全力を尽くす。もう二度と、こんなことが起きないようにするためにも、そうしなければならないんだ」
覚悟を決めた騎士の言葉に、姫はもう何も言うことができませんでした。
二人はその場で別れ、そして……数年の月日が流れます。
トランプの国は家臣たちの尽力や更なる花形芸人の加入によって、更なる発展を遂げていました。
王の悪癖もハートの騎士がなんとか抑えているお陰でどうにかなっており、国民たちもとても楽しそうです。
演者の中でも裏方に近しい立場である騎士は国民たちからの人気はそこまで高くはありませんでしたが、彼にとってはそんなことはどうだっていいことでした。
自分の書いた脚本を仲間たちが演じ、それを見た民たちが笑顔になってくれる。
かつて姫と共に追いかけた夢は、この国の中で確かに叶っていたのです。
願わくば彼女が自分の傍に居てくれたなら、どれだけ幸せだったことでしょう。
そう常々思ってしまう騎士でしたが……その度にあの日のように頭を振ると、遠くの空を見上げます。
遠い遠い、夜の空。そこに、かつてハートの姫だった彼女はいました。
姫としての立場を捨て、煌々と輝く紅の星になった彼女は、今も多くの人たちの前で煌めき続けています。
その輝きを城から眺めながら、騎士は思いました。
これでよかったのだ、と……。
紆余曲折こそあったものの、彼女も、自分も、今はどちらも幸せです。
夢を追い、やりたいことをやって、多くの人たちにそれを応援してもらえています。
ただまあ、お茶目で無邪気な姫の性格は星になったとしても変わらず、そのせいで若干焦げ臭くなっていたりもするのですが……そこもまあ彼女らしいなと、騎士は思っていました。
そして、ある日のこと、騎士の下に星となった元姫から手紙が届きます。
自分と関わることで彼女に迷惑がかかるかもしれないと思い、これまで連絡を取らずにいた騎士でしたが、もう事件のほとぼりも冷めた頃合いだろうと考え、その手紙を受け取ることにしました。
久方ぶりの姫からの手紙。
そこには、懐かしい筆跡でこう書かれていました。
『久しぶり! 今度一緒に仕事することになったの、知ってた!? 偶然かもしれないけどさ、嬉しいよね!!』
どうやら星になった彼女とその仲間たちは、トランプの国と協力して何かをすることになったようです。
スペードの王の女癖の悪さを心配した騎士は少しだけ不安になりましたが、そこは自分がどうにかすればいいと思いながら、元姫からの手紙を読み進めていきます。
曰く、星になってからも騎士の活躍はずっと見守っていたということ。
無邪気に思うがままに動き続けた結果、ファンも増えたがアンチも増えて大変だということ。
それでも夢に向かって突き進み、少しずつだが前に進めているということ。
そして何より……今度顔を合わせる日を、楽しみにしているということ。
何らかの仕事に際して再会するのはもちろんですが、姫はどうやらその前に騎士に会いたがっているようです。
その口実として、彼女はこんなことを手紙に書いていました。
『すっごい面白い後輩ができたの! 常に燃えてる蛇! 凄いでしょ!? 面白いでしょ!? この子に合う台本を一緒に考えたいからさ、今度三人でご飯でも行こうよ!』
数年前となんら変わらない様子の姫の様子に安堵すると共に懐かしさを覚えた騎士は、喜んでその申し出を受け入れました。
そして、彼女に目をつけられた名も知らぬ後輩に少しだけ不憫さを覚えて苦笑すると、手紙の返事を書き始めます。
これでよかったのだと、騎士は思っていました。
自分も、彼女も、民たちも、みんな幸せだと。過去はどうであれ、そういう未来が訪れたことを彼は心の底から喜んでいました。
これから先、姫ではなくなってしまった彼女とまた昔のように話せるようになるかもしれない。
この仕事を契機に一緒に色んなことをして、夢を語り合って、共に切磋琢磨しながら同じ道を歩めるかもしれない、と……輝かしい未来を想像する騎士の胸中は、とても晴れやかでした。
しかし……そんな彼にも知らないことが三つありました。
一つは、王の悪癖は完全に治ったわけではなかったということ。
スペードの王は騎士の目を盗み、これまでと同じように女の子にちょっかいを出していたのです。
二つ目は、そんな王の周囲にいる臣下たちの中にも、王と同じようなことをしている者たちがいたということ。
華やかな宴で笑みを浮かべる演者や民たちでしたが、その明るさの裏ではドロドロとした暗い感情が渦巻き、それが国の腐敗を呼んでいました。
この二つの問題は徐々に肥大化し、日に日に隠し切れなくなっています。
騎士の知らないところで、トランプの国は着実に滅びに向かって突き進んでいたのです。
そして、三つ目……ハートの騎士の最大の誤算。
彼が思いもしていない、想像すらできない、悲しい事実。
それは……『彼女が今も、あの日のことを後悔し続けている』ことでした。
そして、その後悔は最悪のタイミングで爆発することとなるのです。
……これは、バッドエンドを迎えるまでの物語。
悲劇的な結末の中で少しでも救いのある終わりを掴み取るために、多くの人たちが足掻くお話。
この結末は、誰にも変えられない。ハートの騎士も、星になった姫も、他の誰だって、どうすることもできない終わりなのだ。
だけど……たった一つだけ、忘れないでほしいことがある。
どうかこの言葉の意味がわかるその日まで、胸に刻み込んでおいてくれ。
エピローグが迫っている。でも、プロローグはもっとずっと先にある。
いつか、いつの日にか、僕はきっと――この場所に、戻ってくるから。
『Vtuberってめんどくせえ!』第五部・前日譚
【大好きな君と、愛すべき弟への言葉】 了