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状況論

こんにちは。

https://kakuyomu.jp/works/16818093074300113061

六〇〇字のあとさき

「第70話 価値づけるということ」が新しいです。

投稿したら、早速、無名の人さんからコメントをいただきました。
関連しそうな朝日新聞の記事を教えくださったので、読んでみました。
有料部分を含め全文、サーと目を通した第一印象というか、記憶に残ったものとしては、サブスクのプレイリストについてですね。
僕が、思ったのは、プレイリスト、つまり曲をリスト化するという行為もまた、批評的な行為ではないか?というものです。

Spotifyでいうと、自動でつくられるプレイリストもありますが、専門のスタッフが選ぶプレイリストというのがあります。各アーティストたちは、この専門のエディターに選んでもらえると、皆さんに聴いてもらいやすくなると考えているのです。

曲を配信する人は、みんな知っているはずですが、曲をリリースするときに、ピッチ(投げる?)というのをすることができるのです。
この曲は、このジャンルだと選んだり、制作背景はこうでとか、入力して送信するということが行われています。
この記事には、そういう事情が抜けていると思いました。

この朝日新聞の記事は、興味深いので、後でまたゆっくりと読んでみたいと思います。

2件のコメント

  • とてもディープな情報、参考になりました。

    新しい状況では、「新しい批評の形」が生まれるのですね。素人の感覚だと、昔の批評は「権威主義的な一方通行」だったのに対して、価値観が多様化・細分化した現代の批評(?)は、「双方向的・相対主義的」になっていかざるを得ないような気が致します。

    ありがとうございます。
  • 無名の人さん、コメントをありがとうございます。

    メジャーのアーティストさんは、昔だと、有名音楽雑誌にお金を払ってでもインタビューしてもらったりすることが重要だったのでしょうけれど、いまは、まずはピッチ競争(?)に、とにかく勝つことが重要になっていると思われます。

    なんというか、昔は文壇の存在感が強かったのではないかと想像します。
    文藝評論家は、同じ文壇という空間のどこかにいるはずの作家を意識しつつという感じで、執筆していたのではないでしょうか。
    一般の読者は、それを離れたところから、神々のやり取りを見るようにして、読むという感じ。

    まあ、想像ですけれど……。
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