どうも、裃左右です。
さて、最後まで読んだ人しかいないという前提でネタバレしまくりますね。
最終話まで読むと、最初のスタートが違う意味を帯びてくるかと思います。
神々とは、果たして何者だったのか。
設定としては、集合的無意識が顕現したものですね。
わかりやすくいえば、人間の心から生み出された神の化身です。
カミサマたちの振る舞いが、わたしたちに似ているとは思いませんでしたか?
SNSや動画配信を眺めてる時の、わたしたちのなかでもより露悪的な側面です。
人間を娯楽として浪費する、無責任な悪意。
最近のサブカルでは、カミサマは愚かで悪意あるものとして描かれますね。彼らはその通りに行動してくれます。
【ダンジョンの正体】
神様もダンジョンも、人間の心が反映されたものです。
ダンジョンは特に悪意や欲望が反映されます。浅い階層に共通性があって、攻撃性が少ないのに、奥に行けば奥に行くほど、より強く巧妙になるのは、侵入した人間の悪意や欲望がさらに強く反映されるからです。
逆に言えば、悪意がなければ、浅い階層では襲われにくいと言えます。
第一話からそうでしたね。
最深部の罠や怪物が凶悪になるのは、人間が発想する「楽をして攻略したい」「得たチートで無双したい」「活躍しているアイツが妬ましい」「相手を傷つけたい」という気持ちがどんどん反映されて、具現化された結果です。
そのため攻略し、ボスまで辿り着く条件はかなり厳しくなります。
最深部にいるボスは、人間の獣性の象徴であるビーストが顕現することが多いようですが、プレイヤーたちの在り様によっても変わりますね。
【協力してくれる神々】
神のイメージとは、現代の人間だけが形作るものではありません。
積み重ねてきた人々の願いや、歴史が形作ってもいます。悪意ある神々も多く、その名を『悪意ある群衆』と呼ぶとすれば、『本人なりに善なる神』もいるわけです。
プレイヤーの在り方に、共鳴した神々が形をなし、力を授けてくれるということになります。そう、神々に形を与え、力を与えうる存在にするのは、人間の振る舞いなのです。
よって、神々が与える力もまた、プレイヤーの在り方や振る舞いを規定するものになります。力に溺れてしまえば、あり方が歪み、力自体にも影響があることでしょう。
【選ばれるプレイヤー】
選ばれるプレイヤーは、神々と共鳴する可能性があるものです。かつ、ダンジョン制覇する可能性があるもの、寄与する可能性があるもの、になります。
なので、どの都市でも一応は、攻略することはあり得ます。ほぼそうなっていないのが絶望的なところなのですが。
【ダンジョンの攻略法】
ダンジョンは悪意が反映されると言いました。
正当なる攻略法は、正々堂々と卑怯な真似をすることなく、互いに尊重し合い、後ろ暗い感情を抱かず、ひたすら具っ直に進むことです。
まあ、ふつう無理ですね。個人レベルでは可能かもしれませんが、集団で行うのは非常に難しいことです。
個人での攻略も可能ですが、他のプレイヤーの悪意が反映されうるため、他者がいること自体がリスクです。さらにボスは、個人で妥当するのは非常に困難です。都市を救うとは、都市における悪意の化身を打倒すると言うこと。
閉鎖空間になった都市で、迫害が起きたりしたという話があったように、都市に住まうものの心にもまた悪意がある。たった一人で倒せたら、それこそ神話レベルの英雄ですね。
作中では、「ダンジョンを攻略しない」という方法を主人公たちは選びました。
つまり、悪意の連鎖に付き合わないことで、その連鎖を断ち切る。悪意の影響が少ない上層に城を築き、喜びや愛情をもって、神々を味方につける方法。
正攻法でないにしろ、かなり効果的な方法だったのですね。
神々は人類の鏡、彼らに向けて、積極的な好意のアプローチを掛けていく方法は、ダンジョンの在り方自体に勝負を挑む方法でした。
さあ、結末についてですが、わたし、キャラクターがどうなったかは一切記してないのですね。陽平目線で配信されていたのは、あれがすべてだからです。
つまり、陽平も含めて全員が死んでいる可能性もあれば、全員が生きている可能性もある。
(可能性が高そうな人で言えば、アゲハちゃんは生きてるかもなあ、とは思いますが)
ただ、生き残ってもその先もまだ、大変そうな世界ではあります。
あの都市が安全圏になれば、それはそれで色々起きそうだし、加護が引き継げるなら今後も戦いを挑む羽目になりそうですね。
でも、きっとなんとかなるんじゃないかな。って思います。
生きてさえいれば。
まだまだ語り足りないですが、こんなところでいいですかね。
それでは、裃左右でした。
