はい、裃左右です。今日も裏話を語るのですが……。
え、これもだいぶ多いな? 全員の名前の由来とか行きますか?
まず、物語は3つの要素を主に構成に取り入れています。
①ダンテ“神曲”
②シェイクスピア喜劇“お気に召すまま”+α(シェイクスピア作品群)
③ゲーテ“ファウスト”
全体として、舞台劇である雰囲気を取り入れ、特に喜劇ですね。パフォーマンスやエンターテイメントを行う作風です。
んー、元ネタ当たれば、面白いかもしれませんが、どうでしょうね。
ごめんなさい、元ネタのストーリを説明すると長くなる。興味がある方は調べてね。
【登場人物の元ネタと役割対応一覧】
◎ベアトリーチェ・ファン・シャーデフロイ
〇元ネタ:ダンテ『神曲』&Schadenfreude (独語)
・聖女ベアトリーチェ: ダンテを天国へ導く「神の恵み」、崇高な愛の象徴。
・シャーデンフロイデ: 他人の不幸を喜ぶ感情を指すドイツ語。
〇本作での役柄:「悪役令嬢」を志すポンコツな主人公。
〇元ネタとの違い、倒錯ポイント
①導き先の倒錯: 天国ではなく、周囲を大混乱(カオス)の地獄へと導く。
②姓との矛盾: 不幸を喜ぶどころか、他者のために怒り、自ら体を張るお人好し。
③真の役割: 彼女自身が、無自覚に悪魔イヅルを救済へと導く「導き手」。
なお、シェイクスピア“空騒ぎ”に、ベアトリクスという女性が出てくる。この物語は、ベネディックという貴族が、令嬢ベアトリスが周囲の策略にかかって互いに対する愛を告白するようになる喜劇。
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◎バージル殿下(バージル・ファン・シュタウフェン)
〇元ネタ:ダンテ『神曲』(詩人ウェルギリウスの一面)
・ダンテを英語読みするとバージル。
・詩人ウェルギリウスはダンテを地獄・煉獄へと導く「理性」の象徴。賢明な導き手。完璧主義で真面目、堅物の彼は、理性の象徴そのものであり、ウェルギリウス的。
※シュタウフェンは、実際にあったドイツの貴族家門であり王朝。名は聖杯を意味する。この物語の“器”として、用意された王家。
〇本作での役柄:堅物で融通の利かない「アイスマン」な王子。
〇元ネタとの違い、倒錯ポイント
①理性の無力化: 彼の硬直した「理性」は関係改善に役立たず、むしろ事態を悪化させる。
②導き手の役割放棄: 誰かを導く役割を放棄。ダンテでもあるのに、ビーチェを拒絶し孤立させる。
③ダンテ役でありながらも転落: 結果、ビーチェによって地獄(屈辱)を巡らされる巡礼者(ダンテ)役となる。だが、救済される先がない。ベアトリーチェに愛されないから。
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◎ウェルギリ伯爵(ウェルギリ・ファン・シャーデフロイ)
〇元ネタ:ダンテ『神曲』(詩人ウェルギリウスの一面)
・名前がそのまま、ウェルギリウスからとっている。詩人的でありながらも、合理性や愛情、人情も加味する高度に相反する概念を併せ持つ、ウェルギリウス。
〇本作での役柄:ビーチェの父。策略家だが娘に甘く、詩を愛する情緒的な一面も持つ。つまり、根は詩人的ロマンチスト。婚約を起点とする、物語の導き手であり味方。
〇元ネタとの違い、倒錯ポイント
①理性の分裂: 本来のウェルギリウスの「理性」と「感性」が、バージル殿下と彼に分裂しているが、表現される側面がそれぞれ違う。
②威厳の欠如: 賢人というよりは、娘の行動に振り回される喜劇的な父親役。
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◎ルチア・ファン・ギャニミード
〇元ネタ:ダンテ『神曲』&シェイクスピア『お気に召すまま』&ラテン語の「lux(光)」
・聖ルチア: 恵みと視力をもたらす聖女。ダンテの『神曲』に出てくる。実は、家名も“ガニメデ”という形で登場。
・ギャニミード: 『お気に召すまま』で、ヒロインであるロザリンドが男装した際の偽名。
※ガニュメーデース(ガニメデ):ギリシャ神話、トロイアの王子。オリュンポス十二神に不死の酒ネクタルを給仕するとも、ゼウスの杯を奉げ持つ。
ルチアが引き取られた家系は神職であるが、同時に酒造も行うのはこのため。神々へ酒を捧げる神聖な役割。王家が聖杯であり、彼女は酒を注ぐ者。
〇本作での役柄:平民出身の男爵令嬢。天真爛漫で逞しい、ビーチェの友人。本来のヒロイン役……に見える人物。
〇元ネタとの違い、倒錯ポイント
①二重の役割統合: 聖女の「恵み」と、男装の麗人(ギャニミード)の「行動力・たくましさ」が見事に統合された勇敢な女性。
②ビーチェへの光: 孤立するビーチェにとって、文字通り唯一の光(ルチア)であり、恵みをもたらす存在。
③両方の物語を橋渡し:ダンテとシェイクスピアの両世界で肯定的な役割を担う稀有なキャラクター。
→『お気に召すまま』の世界は、彼女が繋いでいる。物語が混在するカオスな世界で、最も美しく順応している人物。
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◎ツェツィーリア・ファン・シューベルト
〇元ネタ:シェイクスピア『お気に召すまま』&音楽家シューベルト
・シーリア: 主人公ロザリンドの忠実な従姉妹であり、親友。固い友情で結ばれる。
〇本作での役柄:宰相の娘。ビーチェの恋敵であり、典型的なライバル令嬢。でも、実はルチアには好意的というか悪意を出せない。本来、ルチアも恋敵のはずだが……?
〇元ネタとの違い、倒錯ポイント
①関係性の反転: ビーチェ目線では敵対者となっている。元作品では親友役と属性反転。この世界の調和が乱れていることの象徴だが、ルチアにとってはやはり親友なのだろう。この場合、異物は別作品の人物ビーチェ。
②ロマン主義的役割: 姓のシューベルトは作曲家を連想させ、彼女の行動原理が嫉妬や恋といった人間的な感情(ロマン主義)に基づいていることを示唆している。シューベルト家の人間は、欲求がわかりやすい。
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◎ヒュプシュ卿(ヒュプシュ・ファン・シューベルト)
〇元ネタ:シェイクスピア『お気に召すまま』
・ル・ボー (Le Beau): フランス語で「美男」。宮廷のゴシップを運ぶ脇役。同じくドイツ語でハンサムを、デア・ヒュプシェ (Der Hübsche)。
〇本作での役柄:宰相家の嫡男。野心家でプレイボーイ。ビーチェの偽装恋愛の相手。
〇元ネタとの違い、倒錯ポイント
①脇役からの格上げ: 原作では端役に過ぎなかったゴシップ好きが、物語の重要な敵役へと格上げ。しかし、敵ではあっても悪役ではない。
②名の変換: 仏語の「Le Beau」が独語の「der Hübsche」に変換されており、遊び心と意図的な引用。
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◎騎士ローラント
〇元ネタ:シェイクスピア『お気に召すまま』
・オーランド: 勇猛果敢で純粋な若者。ロザリンドに一途な愛を捧げる人物。
〇本作での役柄:バージル殿下の護衛騎士。実直で忠実だが、ビーチェの行動を独自に解釈し崇拝する。
〇元ネタとの違い、倒錯ポイント
①忠誠心の対象のズレ: 主君バージルへの忠誠と、ビーチェへの(誤解に基づく)騎士道的な崇拝の間で揺れ動く。
②喜劇性の増幅: 彼の真面目さが、ビーチェの誤解を加速させ、喜劇性を高める装置として機能している。
③愛する相手の先:本来はロザリンド、つまりルチアに夢中になるべき人物。物語の先でどうなるかは描かれていないが、今回のルチアはギャニミード(男装状態)の側面が強いのかもしれない。
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◎夫人(ママ)
〇元ネタ:ある意味では、ダンテ“神曲”&ゲーテ“ファウスト”
〇本作での役柄:ビーチェの母。姿を見せないが、伯爵が恐れる絶対的な権力者。物語の第一原因。
創造主としての「不在の神」: この世界の秩序を定め、イヅルとビーチェを出会わせた「第一動者」。全てを天から静観する、物語の真の創造主として機能する。
つまり、巡礼者が地獄を巡る旅路を生み出した人物であり、本当の意味でのこの作品の脚本家。劇作家。
ベアトリーチェが、悪魔イヅルと交わす契約のきっかけを作る。そして、悪魔イヅルが地獄に憧れるのを止めた。天の座にて、ママはすべてが救われるのを待つ。
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◎イヅル・キクチ
〇元ネタ:日本史の雑賀衆や忍び&鴉天狗+鬼……だけではない。さらに、ゲーテ“ファウスト”&ダンテ『神曲』も入る。
・鬼(デーモン): 秩序を破壊し、混沌をもたらす、西洋的な神の体系外の存在。鴉天狗衆、菊池(鬼口)一党の末裔にして、鬼子。
・日出づる国: 東方、異郷の象徴。
〇本作での役柄:主人公の専属執事。物語の真の演出家であり、地獄を彷徨う巡礼者。 裏面では、ベアトリーチェと王子の婚約も画策した。あらゆる事態を治めるデウスエクスマキナ。
〇元ネタとの違い、倒錯ポイント
①悪魔と救済の倒錯: 本来魂を略奪するはずの悪魔が、聖女ビーチェによって救済される。
②演出家と役者の反転: 物語を動かしているようで、実はビーチェという存在に心をかき乱され、突き動かされている。
③異物としての触媒: 西洋古典の世界に侵入した「鬼」という異物が、全ての化学反応を誘発する触媒となっている。
④ダンテの立ち位置:彼は地獄に憧れながら、煉獄である現世にとどまり、天国へと導かれる鬼(デーモン)。そう、この物語で導かれるのは、ダンテではなく鬼なのだ。バージルがダンテ足りえなかったのは、既にそこにイヅルが役を奪っていたから。
⑤ファウストの契約構造:ファウスト博士は優れた知性と努力の持ち主だが、無限の知識を得るために、悪魔メフィストフェレスと契約をする。それは「ファウスト博士が心の底から満足した時に、魂をもらい受ける」というもの。そう、この満足した時の言葉が、「時よ、止まれ。そなたは美しい」だ。
では、本作ではどうか?
【イヅルだけの物語(本題)】
さあ、本題に入ろう。
イヅルはすべてを見通せる知性を持ち、心が乾いているデーモンである。地獄に憧れて、一族郎党を含めたあらゆる人間を抹殺して、野に下ろうとすらしている。
そこを止めたのは、ウェルギリ伯爵と夫人(ママ)だ。導き手の詩人と、神の一声。
交わされた契約は、ベアトリーチェからの祝福。
「――欲しいものが出来たら、それまでの分。今までの分、まとめて全部上げるわ」
だから、わたくしのものでいなさい、というもの。
そう。鬼(デーモン)に欲しいものが出来たら、あげる、なのだ。
人の心がない鬼に、何かを欲する心が芽生えた時、魂も何もかもを捧げるという、圧倒的に不利な契約を結んでいる。
イヅルは他の人間に何をされても、言われても怒らない。王子の侮辱に、何とも思っていないのは明白だ。
なんならベアトリーチェが誰かと婚約し結ばれようとも構わない。それほどまでに、執着や欲求が人と異なる。
イヅルのビーチェへの態度は「玩具への執着」であり「暇つぶし」。彼女の人生を最高のショーに仕立て上げるのは、あくまで自分の「渇き」を忘れるため。他の男とキスをしても、本質的には「どうでもよい」。
ただ、彼女の人生が唯一無二であればよい。
だが、紛れもなく、イヅルはベアトリーチェのものなのだ。
ベアトリーチェは、イヅルが怒らないのがわかっているからこそ、イヅルがバカにされたり、傷つけられたら怒るのだ。だって、自分のものだから。
イヅルは欲しくなったら、ベアトリーチェになんでもねだることが出来る。少なくとも、彼はそう思っているから、最高にしようとする。
どうせ貰えるなら、極上に仕上げてやろうと。
にも関わらず、ベアトリーチェの側から問いかけて来る。
「それは他の誰かにあげてもいいものですか?」と。
馬車における、ビーチェの問いかけは表面上「ヒュプシュ卿とキスをしてもよかったのか」という問いだ。
が、これの本質は、「あなたが手に入れられるわたくしの『すべて』は、そんな安っぽいものでいいの?」という、イヅルの欲望の「質」を問う、無邪気で残酷な問いかけになる。
少なくとも、イヅルの視点で見れば、だ。
あなたは、わたくしのすべてを手に入れられるのに、いいの? と聞いているように聞こえる。
乾いた衝動を誤魔化している鬼に、それは問うたらあかんやろう。
だけど、そう。
鬼を地獄から引き離し、煉獄を歩かせ。救済の手を差し伸べると言うことは。
「あなたは喉が渇いているのではありませんか」
「冷たい水はいりませんか?」
そう、自覚させて、自分と誰かとの繋がりを思い起こさせることに他ならず。
人の心とは、「まだ足りぬ」と飢えと向き合わせることで足りえるものだった、という話。
渇きを誤魔化してるだけでいいわけ? あなたが欲しているのは、単なる暇つぶしのショーなの? それとも別のなにか?
そう、察していただけただろうか。
あれは問いかけなのではない。「わたくしを欲しがりなさい」を命じているに他ならない。
救済とは、満たされることではない。むしろ、「足りない」と感じ、他者を「欲する」という、厄介で終わりのない感情(=人間性)を獲得することそのものだった。
たぶん、イヅルは思っている。「時よ止まれ、そなたは美しい」と。
悪魔メフィストフェレスが待ち望んだ勝利の瞬間であると同時に、鬼イヅルが“「人間」になった敗北(=救済)の瞬間”。
イヅルはビーチェの問いかけによって、ついに心の底から渇望を自覚させられ、瞬間に彼の魂は(契約通り)ビーチェのものとなる。
同時に、ビーチェも彼のものなる。そう、彼は己が満足できないと悟ったがゆえに。
なんと美しく、皮肉に満ちた結末でしょうか。
でも、きっと彼は歪んだままではあるので、本質に変化はなく。この先も一筋縄ではいかないのだけれど。
ベアトリーチェお嬢様なら、なんとかするんじゃないでしょうかね。
さて、語るのはこの辺にしておきましょうかね。
それでは、裃左右でした。
