大学の構内に杉がある。それで、ベンチがある。ベンチでは、俺が心理学をスナック化したような読み物を見ていて、となりで知らない男がそわそわしてる。しばらくして、団体がやって来た。あの植物はどうで、あれはどうだ、とか言ってる。男は俺に、「あれはなんだろ」と突然、話しかけてきた。俺は講義じゃないかな、と返した。それからしばらくして、俺は時間だ、という風にそこを立ち去った。男が挙動不審だったからだ。
で、歩き出した場所が反対方向だった。久々に人と話をして、気が動転していたのだ。反対側に行くには、男の前を通らなければいけない。通るとなると、その男に、まだどこかに行っていないのか、といった印象を与える恐れがある。俺は別棟まで迂回した。それで、授業には後、三十分だった。窓から、ベンチが見えた。俺は、あそこに戻ることにした。
あたかも、トイレから戻ってきました、という風にして帰って来る。今度は、俺から話しかけた。そいつはフレッシュマン(一年生)だという。俺はジュニア(三年生)であると自己紹介した。俺はその時、挙動不審だった。
だけど、幸福だった。斜め四十五度のスラッシュで世の中を切っているつもりなのに、その時、人と話すことで俗物に成り下がろうとしていた、という考え方がよぎった。自分が非凡だと、必死に信じ込んでいるのは、自分が俗物ではない、という詭弁であることを、自身に思い知らせるのに十分な、思考方法であった。
俺は今まで強かった。いくらでも世の中を恨めたし、大衆を衆愚と馬鹿に出来た。でも今日、それは変わった。俺は、その男と話して、木陰で心理学の本を読む不審者から、点景に変化した。必死に馬鹿にしていた、つまらない、文学のそれと違う、恐ろしくつまらない会話を、目いっぱい楽しんだ。
自宅に帰ってから、わっと涙があふれた。
子供のように布団にくるまって、
もう寝る! と実際に言って、布団の中で泣いた。
ぼくは、まだふしんしゃらしい。
ああ、キーボードがなみだににじんでる。
うまくかんじをかけない。
うええん、うえええん。
じゃなくて、もっと、しずかに泣いた。
ねいき、のようだな、とおもった
だれか教えてよ。
幸せになることは弱くなることなの?
幸せだったんだ。そんで、そのとき、弱くなっちゃった。みんなこと、知り合いのこと思えて、バカにしずらくなっちゃった。ねじひねくれたナンセンス個人が、一周して、棒になっちゃった。普通なことが、とっても、幸福なことに感じちゃった。自分が孤独なのは孤独が自分を愛している、というのは錯覚なんだと、知っちゃった。つまり、ちくわの内側を見たら、ただのちくわの内側だったんだ。穴の中にひだひだが見えた。
でもね、でも。ほんとうは、そんなこと些細なことで。
ほんとうに知りたかったのはね。
それはね。ううん、それは強がりじゃないの。
ううん、違う。それは煮凝りでもないの。
それはね。
ね、それはね。
それはね。
ね。
それ、
ね。
は、
それ、
それね、
れはね
は、それ
この近況報告、一体、何文字まで書けるんだ。(まじで不明)