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関ケ原島津と都城についてツイッターで興味深い記事がありました。

桐野作人様から興味深いツイートがありましたので紹介します。
北郷氏は武闘派です。豊臣秀長の大軍と戦った根白坂合戦では、時久が多数の犠牲を顧みず、豊臣方の陣柵を突破して本陣に迫っています。あまり知られていませんが、関ヶ原合戦にも従軍しており、島津軍の3分の1を占めていたと思います。北郷勢が加わって義弘の退き口は実現できたといえそうです。
本郷家(ほんごうけ)は島津氏の異姓分家でして、宮崎県都城市を拠点として戦国時代に活躍した一族です。
歴史的に見て、強烈なインパクトのある島津家の中のさらに濃い戦闘集団と言えると思います。
昔、大河ドラマの『葵 徳川三代』(あおい とくがわさんだい)の第一話で放送された島津の敵中突破、その兵士の3人に一人は都城の兵士だったかもと想像するとなんかかっこいいなと思いました。(多少私の想像も入っています)
ツイートにもありますが、都城島津邸にて戦国時代の北郷家の資料が展示されています。
都城市、島津発祥の地として頑張ってますがさらに大河ドラマ誘致に力を入れてもらえるとこうした歴史資料の価値も爆上げすると思うのですが。
どうかこれからも「ゼロからはじめる島津大河誘致」の小説をよろしくお願いします。
桐野作人様ありがとうございます。

14件のコメント

  • 葵、徳川三代の第一話の謎、氷塊しました(^^)/
    分家関係までは知らなかったので興味深く拝読させていただきました。さすが尚武の郷
  • 高瀬嘉隆@ガミラス帝国臣民の壁(ガミ公)様、「尚武の郷」というネーミングさすがセンスの塊ですね。
    機会があればぜひ使わせていただきたいと思います。
    私も都城島津邸での展示会で関ケ原と都城の関係は知ったので、かなりマニアックな情報だと思います。
    厳密にいうと北郷=都城の兵士というのはもう少し研究の余地がある気もするのですが、否定する材料もないのでとりあえず今はこの情報を元に宣伝しようかと思います。
    ただ、ほぼ同じ時期に都城で起きた庄内の乱では精強島津の本隊相手に伊集院家が籠城戦で粘りましたので、都城=尚武の郷というのは間違いないと思います。
    朝早い中素晴らしいコメントをいただきありがとうございます。
  • いつも作品を読んで頂き、
    ありがとうございます。

    1945himawari
    楽しんでいただけたら幸いです。

    北郷氏、日南にもその地名があります。
    土着の地名が武士の姓になることはありますね。
    私の先祖は飫肥伊東家に仕え
    西南戦争を戦いました。

    九州南部にはそんな諸家が多く
    西南戦争がまだ生きてる家庭もありますね~

    僕もいつか
    戦国時代小説を書いてみたいです。

    飫肥城を巡る戦い、ミミカワノ戦い
    頑張ってみたいです

    #日南田ウヲ
  • 日南田 ウヲ様 こちらこそコメントをいただきありがとうございます。
    宮崎はあまり知らない人から見ると島津か空白の地域に見られますが、伊東家をはじめモザイクのように各勢力がひしめき合っていたようですね。
    私も後から都城に来た人間ですので正直あまり詳しいことは知らない状態です。
    伊東家から見た歴史というのも一風変わった感じでいいかもしれませんね。
    伊東家もあの立花家と同じように一度滅亡の危機を経験しながら、見事復帰したという点で面白い題材だと思います。
    それ以上にご先祖様の生きざまを現代に伝えるというのはとても素晴らしいことだと思います。
    今は島津家も含めて、なかなか人気に火がつかない状態が続いていますが、いつか一花咲かせたいと思っています。
    良かったら、同じ道を進む同志として、また良きライバルとしてお互い盛り上げていけるといいですね。
    ありがとうございます。
  • こちらで失礼します。

    まずは泥んこの近況ノートに、コメントありがとうございました!

    これからも、泥んこワールドを広げていきますので鼻で笑いながらお楽しみください!٩(* 'ω' *)و
  • 泥んことかげ様コメントありがとうございます。
    こちらこそよろしくお願いします。
    作品楽しみにしています。
  • 失礼いたします。
    私の拙作を評価して頂き嬉しいです。
    少しずつですがまた読みに伺います。
    ありがとうございました。
  • akasarasa様、こちらこそありがとうございます。暑い夏ですので無理せず、マイペースでお過ごしください。
    こちらこそよろしくお願いします。


  • 郭隗の馬の骨様

    近況にコメントありがとうございます!嬉しいです!!

    勇気ある撤退、それも必要だと思います


    次回作かあ、最近ローマが好きなので、舞台は古代ローマになりそうです

    古代九州ロマンも心惹かれます
    遺跡がたくさんありますものね
    一度宮崎の西都原古墳群に行ってみたいものです
    桜の咲く季節に

    暑いですがよきお盆をお過ごしください

    海野ぴゅうでした
  • 郭隗の馬の骨さま。

    近況ノートの場をお借りして、
    私の拙作を読んで頂き、そして、評価もして頂いた事、誠に感謝申し上げます。
    ありがとうございます。

    これは余談でございます。私の雑談と思って下さい。
    実は、郭隗の馬の骨の作品へ何度か足を運ぼうと、考えていました。不思議な縁を感じます。

    私のプロフィールであった通り、私は鎮西生まれ。それと大の歴史好きで、郭隗の馬の骨さまと共感できる。それを覚えた所以もあります。

    今回の武蔵野テーマとした作品群の中の一つに、関東八州の太守であった北条家をさらりと物語に沿えています(笑)
    話しが逸れてしまいました。ゴホン。

    私の父は、薩摩生まれ。薩摩の某所、鶴が飛来する土地の生まれです。鶴丸城に赴き、薩摩蒸気屋の軽羹を頬張りながら、弾痕が残る城壁を見詰めていた記憶を思い出します。それを見て、薩摩隼人を心底に感じていました。
    そして、これは歴史的根拠も証拠すら残っていません。祖先の絵空事かもしれませんが、私の家は、鎮西一の強者と評された、立花宗茂の家に接点があるようです。詳しくは言えませんが。

    そんな私は、鎮西に強い愛着を持っています。
    明治維新を成し遂げた一柱、薩摩の小国であった島津家。その力は、戦国時代より驚嘆する程の力を持っていた。それは、郭隗の馬の骨さまの方が重々承知かと思います。

    島津家の大河。数十年前にそれを激しく切望していた時期がございました。それは、大河が一刻は実現するかも、夢の話が持ち上がったからです。仮称、九州関ヶ原と言いましょうか、そんな題名で大河を作る、そんな噂話を耳にした事がございました。黒田、鍋島、島津、加藤、立花、などの九州を代表する数々戦国大名の数々が浮かんで、夢馳せていましたが、結局は叶いませんでした。残念ですね。

    郭隗の馬の骨さまの作品を読んだ方々の中で、共感する方々が大きな波紋を造り出して、夢が叶うといいな。心底に思います。

    私も応援したいですが、長編を読めない蟠りを抱え込んで、手に取れない実情に最悩まされています。ですが、心が晴れた時、きっと郭隗の馬の骨さまの作品を手にすると覚えています。
    長文、失礼いたしました。お目汚しにならなければ、幸いです。
  • 海野ぴゅう様、わざわざおこしいただきありがとうございます。
    暑い夏ですが、お互い健康な状態ですごしたいものですね。
    古代ローマは骨太な歴史の出来事が沢山あるので面白い作品になる可能性が高いですね。
    楽しみにお待ちしています。
    落ち着いたら、どうぞ宮崎を楽しんでいってください。
    感謝申し上げます。
  • 美ぃ助実見子様、とても興味深いお話をありがとうございます。
    私も言霊というのはあると考えるタイプなので美ぃ助実見子様様のお話は多少は理解していると思います。
    わたしが小説を書くようになってから、加藤清正公の子孫の方と知り合う機会があり、いろいろ助けていただきました。
    なので、鎮西無双の立花宗茂公に所縁のある方とこうしてお話できるのも嬉しくはあっても不思議ではありません。
    私自身は東京生まれ横浜育ちなので実は薩摩のことはそれほど詳しくはありません。
    ただ、今の時代、国際情勢を鑑みて戦国島津を大河ドラマにすることが地元南九州地域のみならず、日本全国の為になると確信しています。
    そして、今まで数十年、九州出身の戦国武将やその妻たちが大河ドラマの候補に推されては却下されていったことは私もある程度は理解しています。
    なので、例えとしてですが、そのしかばねの上に立っていることを意識した上で大河ドラマ誘致をすすめています。
    この季節、小説を読むのも体に負担がかかります。
    どうか、お体をご自愛くださいますようお願いします。
    もし、お体にあるわだかまりが解消したならば、その時はどうか拙作をよろしくお願いします。
  • 郭隗の馬の骨さま、こんばんは。

    改めまして、美ぃ助実見子でございます。宜しくお願い致します。
    私の拙作の数々を読んで頂き、誠に感謝申し上げます。

    ふらりと立ち寄りましたら、返信が書かれていたことに目が留まりました。

    私も言霊があると信じている派です(笑)
    かく言う私は、黒田家に所縁がある方と、お会いしたことがあります。そんな私は柳川市の隣の市に実家がございます。そして、北条家のお膝元であった小田原市にも縁がございました。横浜にも遊びに行ったことがあります。全く以って不思議な縁を覚えますね。人の縁とは計り知れないものです。

    私の祖先は鎮西の武士だったそうです。随分と羽振りが良く立派な家柄だったそうですが、数世代前に没落して何も残っていない。ほんと何にも残っていないそうです。すっからかんです。
    先だって申し上げた通り、歴史的根拠も、それを示す資料も何もありません。昔はどこどこ繋がりがあると、公言することで家の地位を格上げした。そんな話もあります。ただ、薩摩の家の者が密かに家系図なるものを作っていると噂話が上がりましたので、もしかしたらそこで何かが分かった。のかもしれませんね。
    ですから、話半分。寧ろ、与太話と思って頂ける方がいいですね(笑)

    薩摩に縁がある者としては、島津大河を実現して欲しいですね。いつも大河を彩る一武将で終わっていますからね。もっとクローズアップして欲しい。

    少しずつですが、郭隗の馬の骨さまの作品を読み始めています。時間を掛けて拝読していきたいとおもいます。何かと時間が掛かる輩。お許しを。
  • 美ぃ助実見子様度々お越しいただきありがとうございます。
    ご存じのことかもしれませんが黒田家は江戸時代島津から養子をとったこともあります。
    後北条家は英雄早雲公以来5代にわたる戦国大名としてとても面白い歴史を持っていますね。
    個人的には氏康公が好きです。
    おっしゃる通り横浜、薩摩と不思議なご縁がありますね。
    私個人としては薩摩だけではなく鎮西全体を盛り上げて、そこにゆかりのある人々すべてが、ご先祖様の歴史に敬意を持ちつつ、プライドを持ってほしいと思います。
    歴史の遺物というのはどこでひのめをみるか分かりませんがもし家系図についてさらに詳しい情報なり新しい発見があればいいなと個人的には思いました。
    私の小説はとても長く、素人作品なので読むのが大変だと思います。(笑)
    もし、お気に召すようであればゆっくり堪能していただけるとわたしもとても励みになります。
    鎮西には島津の他にも少弐や大友、私が知らないだけで多くの名家、名門が存在しています。
    もし島津大河が実現すれば、今までの戦国大河のどの作品よりも脚光を浴びることでしょう。
    今年の夏は例年以上に暑いので、どうかお体をご自愛ください。
    ありがとうございます。

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